ペンギンドクターより
その3
「本の話」 つづき
▼煩雑と言われることを覚悟で長文を引用したのは、著者が戦前・戦中・戦後を生きた日本人のひとつの典型であったと思うからです。丙種合格でありながら徴兵を免れたのが何故だったか、通常医学部学生は召集されないはずですから、そのためだとも思うのですが、他に何か事情があったのかもしれません。梶田昭・1922年生まれ、私の父・1916年生まれ、私の母・1920年生まれです。皆さんのご両親もまた同世代でしょう。昭和という時代に翻弄された人々です。
では目次を示します。
推薦の言葉 酒井シズ
第一章 人類と医学のあけぼの
1 森の中での医学の始まり
2 無文字社会(小川・里・広場)の医学
3 文明の中の医学
4 古代の治癒神たち 古代エジプトの治癒神イムホテプ/ギリシア世界の治癒神アスクレピオス
5 常識と医学と呪術と
6 回顧と展望――健康を守るための人類の挑戦
第二章 イオニアの自然科学とヒポクラテス
1 人知が開け始めるとき――中国、インド、ギリシア
2 ソクラテス以前の自然学
3 体液病理説の誕生
4 ヒポクラテスの登場
5 ヒポクラテス医学とは ヒポクラテスの自然治癒説/「病名のない病理学」
6 再発見されたヒポクラテス
7 科学時代のヒポクラテス医学
第三章 アテナイの輝きとアレクサンドリアの残光
1 二人の大哲学者――プラトンとアリストテレス プラトンの自然哲学と「魂」の区分/アリストテレスの生物学
2 アレクサンドリアの医師たち 解剖学の父ヘロフィロス/生理学の父エラシストラトス
3 プネウマとはなにか
4 医学にとっての解剖学
第四章 イエス、ガレノス、そして中世
1 パレスチナの治療師イエス
2 ローマ人の医学
3 古代医学の総決算ガレノス ガレノスの生涯/ガレノスの解剖学/ガレノスの生理学/ガレノスの病理学
4 中世の医学 サレルノとモンペリエの医学校/病院と看護の起源
5 疫病の時代――中世からルネサンスへ
第五章 インドと中国の古代医学
1 医学における紀元1000年と2000年
2 アジアはなにを貢献してきたか 食と衣に対するアジアの貢献
3 古代インドの医学 インダス文明/ヴェーダの時代/呪術から経験医学へ/仏教とアショーカ王の時代/アレクサンドロス大王が来たころ
4 古代の中国医学 扁鵲/黄帝内経/傷寒論
第六章 シリア人とアラブ人の世界史的役割
1 医学史におけるシリア ネストリウス派の医学校
2 アラビア文明圏の医学 アラビア・ルネサンス
3 アル・ラーズィーとイブン・スィーナー アル・ラーズィー(ラーゼス)/イブン・スィーナー(アヴィセンナ)
4 イスラムの衰退と西欧への科学・医学の移転 コンスタンティヌス・アフリカヌス/イヴン・ルシドとマイモニデス
第七章 芸術家と医師のルネサンス――中世からの「離陸」
1 新しい医学は芸術家の工房から 2 大学の成立
3 二人の全能人――フラカストロとパラケルスス
4 アグリコラと『デ・レ・メタリカ』
5 解剖学者ヴェサリウスと外科医パレ
6 ジャン・フェルネルとミカエル・セルヴェトゥス
第八章 科学革命の時代
1 ガリレイ、力学、形態学
2 ハーヴィと血液循環
3 医物理派と医化学派 ロイヤル・ソサエティと「見えないカレッジ」
4 科学とプロテスタンティズム
5 心と脳の17世紀
6 イギリスの「ヒポクラテス」――シデナム
7 『働く人々の病気』――ラマッチーニ
第九章 近代と現代のはざまで
1 全ヨーロッパの教師ブールハーフェ
2 植物学者・医師リンネ
3 アルプスの詩人・生理学者ハラー 4 ハレの町の二人の医学教授
5 病理解剖学の花開く――モルガーニ
6 スコットランドの外科医・病理学者ハンター
7 天然痘とたたかった医師ジェンナー
8 ヨハン・ペーター・フランクの医事行政
9 医学の中の公衆衛生――フランクとルソー
第十章 進歩の世紀の医師と民衆
1 パリの病院医学 ジャン・ニコラ・コルヴィザール/フィリップ・ピネル/ザヴィエ・ビシャ/ルネ・テオフィーユ・イアサント・ラエンネック/フランソア・ジョセフ・ヴィクトール・ブルッセー
2 旧ウィーン学派と新ウィーン学派 3 新ドイツ医学の胎動 ヨハン・ルカス・シェーンライン/ヨハネス・ミュラー/ユストゥス・フォン・リービッヒ/カール・アウグスト・ウンダーリッヒ
4 クロード・ベルナールの生理学 5 ウィルヒョウとベルリン医学 ウィルヒョウと「細胞病理学」/生理学者たち/ベルリンの内科医と外科医たち
6 病原細菌学の時代 感染と伝染、ミアズマとコンタギオン/ゼンンメルワイスと産褥熱/ルイ・パストゥール/ローベルト・コッホ/メチニコフの食細胞説/エミール・ベーリング/パウル・エールリッヒ
7 外科学の進歩を担った人びと ジョセフ・リスター/テオドール・ビルロート
8 衛生学、社会衛生学、社会医学 マックス・ペッテンコーフェル/19世紀の社会医学者たち/ナイチンゲールと国際赤十字社
第十一章 西欧医学と日本人
1 ルネサンス、東と西
2 鎖国の中の日本医学――『解体新書』まで
3 『解体新書』以後
4 シーボルト、洪庵と泰然、ポンペ 5 イギリス医学かドイツ医学か
6 明治のお雇いドイツ人教師たち 7 明治日本の医学事始め
第十二章 戦争の世紀、平和の世紀 1 生理思想の発展
2 内分泌学の進歩
3 栄養とビタミン
4 病理思想の動向
5 感染と人間
6 免疫学の進展
7 生化学と分子生物学
8 外科の歩み
9 環境汚染の進行
10 臨床医学への反省
「解説」にかえて 佐々木武
あとがき 廣川勝昱
▼「推薦のことば」の酒井シヅ氏は順天堂大学客員教授です。医学史の権威として著名です。佐々木武氏は東京医科歯科大学教授です。廣川勝昱氏は東京医科歯科大学医学部長です。
「あとがき」を書いた廣川勝昱氏の文章の末尾の一文を引用します。
病理学は今、形態学的手法を用いた病理診断学が主流となっている。しかし、梶田先生は病気の診断より、その背景に深い関心をもっておられた。心筋梗塞は冠動脈の狭窄・閉塞で起こる。そうした冠動脈の病変は病理形態学的に見れば分かる。問題は、そのように発達した心臓がなぜ脆弱な冠動脈に頼らざるを得ないのかということである。それは個体発生から系統発生を追わなければ得られない。そんなことがきっかけとなり、梶田先生は三木先生(ペンギン注:東京医科歯科大学の三木成夫解剖学教授)と親交を結ぶようになった。
本書はそうした背景をもった梶田先生が力を込めて書いたものである。『医学の歴史』という題ではあるが、梶田先生が女子医大の病理学教室でスタッフを前にして話す“ものがたり”である。歴史といえば、年代に沿って事実を羅列して書いたものが普通であるが、そこに著者の考え方が濃厚に入り込むと歴史物語になる。医学生はもちろん一般の方にも十分にお読みいただけるものになっていると思う。こうしたすばらしい読み物をのこしてくれた梶田先生を懐かしく思いながら、ご冥福を心からお祈りしたい。
2003年7月27日
東京医科歯科大学医学部長
廣川勝昱
目次を見ておわかりのように、360ページの文庫本ではありますが、これを上梓するためには、実に広汎かつ深い知識が必要とされたはずです。著者の訳された本の一部を見て宗教関係の書物があるのに気づきますが、古代から中世まで、医学は宗教との関連がきわめて濃厚でした。著者の興味がそこから始まっているのを想像させますし、著者の経歴を見ても、政治や社会との関わりも深かったと思われます。多くの挫折も経験されたと推定されます。その特異な経験をも糧として病理学という学問の世界に進み、このような良書を遺された著者には尊敬というより敬愛の念を覚えます。
具体的に内容を取りあげてコメントするのは、私の能力を超えるので、このぐらいで終わりとしますが、私自身も初めて耳にする人名が多く、著者の博覧強記に驚嘆する次第です。ただ、全体の流れは医療従事者以外でも何となくわかると思います。