[1248](寄稿)医療あれこれ(その83)ー2「誤診」について

ペンギンドクターより
その2
本日は「誤診」について雑駁なお話をします。
 1963年に東大教授を退官された冲中重雄教授の退官記念講演(今回はうろ覚えの記憶ではなく少し調べた上での文章です)で病理解剖で確認された「誤診率」が14.2%だったと話題になったことがあります。私はまだ高校生だったわけで勿論知らなかったわけです。私が大学に入学したのは1966年です。この数字が発表になった当時の反応は、一般市民は「東大でもそんなに誤診するのか」であり、臨床にたずさわる医師の間では「誤診率が随分低いな。どの程度を誤診としたのかな」という感じだったようです。
 そして私が医師になってから感じたことは、「14.2%という誤診率は低すぎる」ということでした。病理解剖された全疾患平均の数字のようですから、当然入院患者さんであり、多くの医師が関わっていての数字と思います。冲中教授の教室以外も入っているはずです。CTや超音波検査や内視鏡検査などがない時代あるいは不備の時代です。「名医」として慕われた冲中教授でしたから、自信をもって「誤診率」を発表されたのでしょう。(私の口うるさい先輩なども冲中先生を褒めていました)
 私が医師になったのが1973年です。冲中教授の退官記念講演から10年後となります。私は東京のK病院外科において医師人生のスタートをしました。フレッシュマンとして私には見るもの聞くもの印象に残るものばかりでした。思い出す「誤診」を列挙します。
 
「直腸がん」を「内痔核(いぼ痔)」と誤診。一年目だったか二年目だったか、ある男性が「肛門出血」にて来院。外科外来担当の私が診察し、「内痔核」があり、「軟膏」を処方しました。約一ヶ月後再び来院。また私の外来だったので、今度は外来で直腸鏡(直線状の筒で豆電球で約15cm奥を観察できる。)を使ってのぞいてみたら、直腸がんがありました。すぐに入院・手術となったケースです。今思えば、「内痔核」と「直腸がん」の出血の仕方は微妙に異なるので、初診時に診断をすることは出来たかもしれません。あるいは今ならすぐに大腸内視鏡の予約をしたかもしれません。しかし当時は大腸内視鏡は院内にありませんでした。上の先生に怒られた記憶はなく、むしろ外来でよく見つけたと言われたような気がします。
 19歳?成人前の男性の「肛門部痛」の患者さんです。結論は「急性白血病」です。
 外来に「強い肛門部痛」の男性が初診。「肛門周囲膿瘍(切れ痔などから感染)」と外来担当の先生は診断し、痛みが強いのでまずは「脊椎麻酔」をかけて痛みを軽減させて、どこに「膿がたまっているかチェックし排膿させよう」と手術室に回ってきました。新人である私が麻酔担当となり、「さて麻酔をしようか」と彼に手術台に乗ってもらったところに、検査室から電話がありました。「白血球数が5万を超えています」。私たちは慌てて患者さんを手術台から下ろしました。
 強い肛門部痛は、肛門周囲の敏感な神経に「白血病細胞」が浸潤したことが原因と思われました。当然出血傾向はあるはずですから、麻酔のために背中に針を刺していれば、医療過誤となり、私の責任が問われることになります。
 その患者さんのその後は知りませんが、当時ですからまもなく亡くなったと思います。 
 
 高齢の女性の「腸閉塞」です。外来担当の先生が、腸閉塞の患者さんを入院させたからと私が受け持ちになりました。腹部単純レントゲン写真で小腸のガス像が明らかで、腸閉塞に間違いありません。点滴をし、鼻から胃に管を入れて胃液・腸液を排出させる減圧を試みました。緊急手術ではなく経過を見ました。すると翌朝看護婦さんが患者さんの「清拭(全身を温かなタオルで拭いてあげること)」をしたところ、右鼠径部にふくらみがあるという連絡が来ました。すぐに私が駆け付けると、確かにふくれています。結論は高齢者の女性に多い「大腿ヘルニア嵌頓(小腸などがヘルニア門から飛び出してもとに戻らない)」で緊急手術になりました。以後の私は腹痛や嘔吐の患者さんのお腹を触る時、「脱腸」はないよねと、不謹慎にならない程度に鼠径部にそっと触れるようにしています。
 
 外科という「診断」というより「手術」が主体の部門でも「誤診」はしばしば起こります。ましてや診断することが使命である内科においては、死に至るほどのことはないにしても「誤診」は日常的なことでしょう。上記の私が今もありありとその時の場景が浮び上がるようなケース以外にも多くの際どい「誤診」がありました。腹部エコーもCTもなかった時代です。誤診のために実際に不要な手術が行われたケースも多々あります。私のような新人医師の理解力でも覚えているのですから、有能な上級医なら「誤診」とするケースはもっと多くなると思います。
 冲中教授の「誤診率」14.2%は検査手段が少なかった時代としては大変良好な結果とも言えますし、病理解剖ということは患者さんが亡くなっているわけですから、それまでに多くの医師が関わっていることを考えると「まあそんなところかな」とも思います。当時の大学病院は特殊です。私が学生として小児科を回ったときは、圧倒的に「白血病」の患者さんが多く、みな亡くなっていました。急性白血病は日単位、週単位で亡くなり、慢性白血病はせいぜい月単位という感じで、誤診の余地はないように感じました。だから一般の病院・医院
での誤診率とはまったく異なるとも言えます。
 
 次に、一冊の本を紹介します。実はこの本は昔購入した本ですが、読んだのはこの一週間です。
 
 ●川人明『正直な誤診のはなし』(勁草書房、1986年10月5日第1刷発行)203ページの単行本です。
 著者の略歴を記します。1947年大阪府に生まれる。1966年東京大学教養学部理科Ⅲ類入学。在学中、東大闘争を経験。1974年東京大学医学部卒業。柳原病院、東京大学附属病院で研修。現在 柳原病院外来医長。帯にあるコピー(宣伝のための文章)を記します。
 
 恐るべき”誤診”、しかしそれは医師の側からはごく日常的な経験でもある。医師の立場から誤診の背景、技術的要因を検討し、誤診を生まないために患者と医師との共同の努力を語る。◆医療・福祉シリーズ 勁草書房
 
    ーー主要目次ーー
 ●第1章 正直な誤診のはなしⅠ
 ●第2章 私の誤診論
 ●第3章 正直な誤診のはなしⅡ
 ●第4章 誤診と患者の人権
 ●第5章 患者さんとの対話
 
 私はこの本を刊行後まもなく購入したと思います。つまり1986年~87年頃でしょう。私が40歳になった頃でしょうか。購入したものの放置していました。その理由は「正直な誤診のはなし」という題名です。何となく「偽善的」なものを感じたからです。
 
 しかし、この本は現場の医師として大変見事な本です。今回読んでみて著者を見直しました。彼自身は内科医とくに循環器内科を主体に診療しています。この本の原文は彼の属している「柳原病院」での院内紙「ミニ通信紙」に二年余りにわたって掲載されたものです。一部加筆・訂正はあるといっていますが、自分も含めて院内の医師の実名で「数々の誤診」の実際が言及されています。「偽善的」どころではありません。今読んでも大変役に立ちます。
 
 皆様、柳原病院という名前に思い当たることはありませんか。そうです。乳腺外科医によるワイセツ事件で主治医が逮捕された病院です。地裁で無罪、高裁で実刑判決、最高裁で「高裁差し戻し」でなおも裁判は続いています。「柳原病院」は共産党系、「民医連」の病院です。
 しかし、そのことはこの本には直接の関係はありません。ただ、医師同士の関係がお互いの「誤診」を実名で本にできるほど、コミュニケーションがいいことは評価していいと思います。「誤診」はその経緯を十分検討すれば、実に勉強になる「宝庫」です。「失敗は成功のもと」というのはどこでも真理でしょうが、医療のように命に直結する分野こそ、その失敗を生かす日々の努力が必要です。ところが、日本ではいや日本人は「くさいものにはふた」「人の噂も75日」「たてまえと本音」とか、都合の悪いものは無かったことにしてしまう、あるいは「敗北」ではなく「転進」とか、「捏造」ではなく「書き換え」とか、これでは、進歩はしません。10年ほど前でしたか、日本脳神経外科学会の理事長に非常に優れた人が就任し、脳外科手術における「合併症」の実際を公開したところ、マスコミが「そんなことではけしからん」というような論調で非難したことがありました。
 しかし、現実を認めてこそ、次の対策が可能になるはずです。
 このへんで、今回はやめておきましょう。