[751]中国農民工 故郷に帰る その1

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 2022年の世界は米中〈冷戦〉のなかで中国を軸として揺れ動くだろう。台湾海峡の政治的軍事的緊迫、一帯一路の拡大と軋轢、中国国内の格差拡大、労働者階級の鬱積する不満と圧政に対する反発。中国のリアルな現実を見ていきます。
 12月11日のNHKスペシャル農民工 故郷に帰る 〜埋まらぬ都市と農村の格差〜」を見ました。
 世界第2位の経済大国になった中国の農民はディストピア(暗黒卿)のなかにいます。番組はその現実をリアルに伝えています。映像を見た私の記憶と番組の解説に沿って、かつての「社会主義国」中国の農民の〝今〟と資本主義化し経済成長する過程で強いられた農民の困窮と苦悩の現実を見ていきます。
 中国の経済成長は1億5千万人の農民工によって下支えされました。
 その農民工たちが、いま、故郷に戻り、農業などに取り組み始めています。共産党政府は農民工に農村活性化の役割を担うよう呼びかけています。習近平が「今こそ農村の振興に皆さんの力が必要です」と辻説法のパフォーマンスをしている画像がアップされていました。
 
 故郷に帰る農民工たち
 衰退に歯止めがかからない農村
 
 埋まらない格差は、中国共産党にとって最大の課題のひとつです。貧しさから抜け出すため、都会へ出稼ぎに出た農民が故郷に帰って直面しているのは、荒廃しきった農村の厳しい現実。
 貧しい農村の解放を謳い、革命を成し遂げた中国共産党は1978年の鄧小平による改革開放政策の導入を結節点として資本主義への逆走を開始しました。
 2021年7月、共産党創立100年の祝賀式典で党の成果として習近平国家主席が最初に挙げたのは、貧困問題の解消でした。小康社会の「達成」を謳いました。

 習近平は言いました。「歴史的な絶対的貧困問題を解決し、いま意気軒昂として近代的社会主義強国の全面完成という第2の100年の奮闘目標に向けてまい進している」
 食べるものにも困る絶対的貧困の人口は、ゼロになったとされている。しかし、毎月の収入が1万8000円に満たない人口は、いまだ6億人。その多くが農村の人々です。
 そこで共産党が打ち出したのが「郷村振興(ごうそんしんこう)」というスローガンです。202021年2月郷村振興局を設立し農村の発展のために、農業や商売を始める人々に対して補助金を出したり、無利子の融資を行ったりして、農業の資本主義化を促進しているのです。
 NHKの取材班は現代中国の一農村の現状を伝えています。

内モンゴル紅石砬村(こうせきらそん)

 内陸部、内モンゴル自治区では、発展から取り残された村を多く抱えています。東部に位置する紅石砬村(こうせきらそん)では、30世帯が農業で暮らしています。
 この村で畜産業を営む張建平(ちょう・けんぺい)さん45歳は長年、農民工として出稼ぎを続けてきましたが、2年前、村に戻りました。
 育てているのは20頭の牛。肉牛の需要が高まるなか、大きく育てて売れば、故郷の新たな産業になると考えました。元手にしたのは、出稼ぎで貯めた金や、政府による無利子の融資あわせて350万円。村人1人も手伝いとして雇いました。張のように農村に移り、農業や商売を始めた人は、中国全土で去年1000万人に上るとされています。
 この日、張が訪れたのは、耕作放棄地になっていた畑。この土地を借りて、牛のエサとなる牧草を育てたいと、高齢で働けなくなった村人に持ちかけました。これまで小規模農家が多く、利益が上がりにくい構造だった中国の農業。張は少しずつ牧場の規模を大きくしたいと考えていました。
 中国農業は1978年の改革解放以後、人民公社方式による集団農業から生産請負制に転換し、農家が経営主体として復活しました。

張さんは言います。「畑は広ければ広いほどいいです。牧草を買わなくて済みます。牧場の規模を大きくして、村に雇用を生み出したい。」

 張さんは3ヘクタールの農地を年間5万円ほどで借りることにしました。

張「今は規模が小さくて牛の数が少ない。牛の数をもっと増やし、規模を拡大しようと考えている。」

 この村で生まれ育った張。14年前の冬、都会に出稼ぎに出なければならない事情を抱えていたのです。

つづく

[750]黒い羊

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<卓上四季>黒い羊より
12/23 05:00
ずっと昔、遠い国のお話。黒い羊が他の羊に銃殺された。その100年後、罪を悔やんだものたちが弔いの騎士像を建て、群集からは歓声が上がった。グアテマラ人作家モンテロッソの寓話(ぐうわ)「黒い羊」(書肆山田)の一節だ▼英語で黒い羊といえば、集団の中の異端を指す慣用句。異質なものを排除する心理は国や時代を問わないものなのだろうか。とりわけ、他の集団より自分たちが優れていると信じたい集団ほど、その一体性を守ろうと排他の意識が強まるそうだ▼いわば排除は自信喪失の裏返し。他者に劣ることへの不安が高じるあまり、攻撃に転じるという。いじめはその典型であろう▼東京都の武蔵野市議会で投票資格に国籍を問わない住民投票条例案が否決された。外国籍でも18歳以上で在住3カ月以上の住民の投票に道を開く提案に、会員制交流サイト(SNS)などで外国人排斥の声が高まっていた▼米ニューヨーク市議会が今月、一定の条件下で外国人に地方選挙権を認めるなど、地方自治における外国人の参政権付与は国際的な潮流だ。条例案否決はそんな流れにも逆行する。五輪で多様性を掲げた国の内実である▼寓話「黒い羊」は続きがある。黒い羊の殺りくはその後も繰り返され、そのたびに反省の騎士像が建てられた。「おかげでぼんくらの羊たちですら騎士像作りというものをたっぷりと練習することができたのです」
2021・12・23


 新型コロナ危機のなかで私も感じるところがあった。自粛、ソーシャルディスタンス、マスクという言葉が標語となって国民の行動を規制し、標語に忠実にしたがって行動することが社会人としての証のようになっている。自主規制しないものは非国民のような存在になる。標語が指示する行動がときにウイルスの伝播を防ぐという目的から自由になり護符のようになる。たとえば周りに人がいなくてもマスクつけている方が気が楽。
 私は右傾化する日本社会のなかでコロナ感染症の広がりを奇貨として上から国民を統合しようとする政府に危機感をもった。しかし標語への同調圧力を批判することには勇気がいる。言えば感染防止に背を向けているかのように受け取られ異端視されるのである。
 コロナ問題に限らず同調圧力は反対運動のなかにも浸透している。上から流される公式見解ーー時代の公式スローガンーーに肯首している方が無難ということはよくわかっているがそれは危ない。
 先日新聞でおやっと思う記事を見つけた。
 12月27日の朝日新聞の文化面に「コロナ禍 社会と密になった」という、小説家であり劇作家でもある本谷有希子さんの寄稿があった。
 社会と疎遠になったのではなく密になった、という見出し。ひっかかってそれを読んだ。これはおもしろかった。
 コロナ下で本谷は「ソーシャルディスタンス式の出産」を経験した。家族は病院には入れなかったのである。出産時に家族とすら会えない、子育ても一人でというのは孤立感をおぼえるのが普通だ。何で社会と密になったのか。
 実家にこもって子育てするかたわら、つけっ放しのテレビからワイドショーの司会者やコメンテーターからこの先の不安や政府の対応への苛立ちを聞いた。そこで感じたことを本谷は次のようにいう。
 「私の中で気体のようにふわりふわりと浮かんでいた感情が固体に形状を変え、国民として〈正式〉に現状を嘆いたり、〈正式〉に憤慨したりすることができたのだった。世論というものに同調すると、とても楽に社会の一部である自覚を持てることを発見した。彼らが教えてくれたことはそれだけではない。東京五輪にまつわる様々なゴタゴタ······お陰で私は生まれたての子をあやしながら、血税の浪費に怒りを覚え、······次々と失脚する五輪関係者を腐すことに大忙しだった。」
 彼女はテレビのワイドショーでオーソライズされた世論に同調しているうちにソーシャルディスタンスの壁を自分の内面で解消したことに気づいた。周りからソーシャルディスタンス式の出産を「コロナのせいで大変だったね」といわれたが、子育ての一年は「ソーシャルディスタンスとは裏腹に、気色の悪いほど社会と同化した一年だった」と述懐している。
 しかし本谷は終わりの方で「世の中の蔓延する空気は透明ではなかった。誰かによって絶妙に着色され、そしてその誰かには漏れなく私も含まれていた。」と自覚的に語る。この方は「その他の羊」の中に居ながら黒羊のようである。
 
<卓上四季>は終わりにコショウをふった。
「黒い羊の殺りくはその後も繰り返され、そのたびに反省の騎士像が建てられた。」
 私も日常生活のなかで社会の病弊を感じる。戦争のきな臭さが強くなっているが、抗う力は分断されその内部に排除の風が吹く。現代の反対運動もまた「反省の騎士像」を建てるのだろうか。

[749](寄稿)「コロナ下で過ごした一年目の大学生活]

ペンギンドクターより
その3

 さて、MRICの情報を転送します。医学生の行動はともかく、文中の福島県にて行われたコロナワクチン接種後の「中和抗体の推移」は大変興味深い報告です。

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コロナ禍で過ごした1年目の大学生活

この原稿はWeb医療タイムス(2021年11月17日配信)からの転載です。

東京大学理科三類1年
杉浦 蒼大

2021年12月20日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
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●オンライン講義と並行、現場に赴く

私はこの春に上京してきた大学新1年生です。コロナ禍の影響により、入学以来大学の講義のほとんどがオンラインで開講されてきました。
こうしたコロナ禍での大学生活は毎朝キャンパスに登校する必要がないため、学期中にオンライン講義と並行してさまざまな場所に赴くことができる絶好の機会です。
実際に、この半年間私は福島県の医療現場にたびたびお邪魔し、日本のコロナ対策の最前線で勉強する機会をいただきました。
ワクチンの一般接種が開始された今年5月、今後のコロナ対策の在り方に強い関心があった私は福島県相馬市の集団接種会場を訪れました。
相馬市は、ワクチン接種の方式に国が原則として示した事前予約制を用いず、相馬モデルと呼ばれる独自の地区割当制を導入したことで知られる自治体です。
この判断は功を奏し、相馬市は日本髄一の接種スピードを達成しています。私は医学生として接種会場の手伝いをしながら、まさにその現場を目の当たりにしました。


●翻訳作業で学んだ復興の歩み

その後も手伝いに参加する中で、会場でワクチン接種を担当されていた坪倉正治先生とお会いしました。坪倉先生は、10年前の震災時に原発事故発生後いち早く現地で内部被爆検査を行い、得られたデータをもとに根気強く住民説明会をされた医師です。
そんな先生から最初に与えられた仕事は、相馬市復興10年ダイジェストという冊子の英語翻訳でした。
この翻訳作業を通じて震災後の相馬市の歩みを知り、原発事故の避難時に浮上したさまざまな医療課題を学んだことで、「未曽有の災害に対して誰も答えが分からない中、放射線量や抗体価の地道な測定が必要となる」「避難や自粛による健康2次被害が無視できない」など原発事故とコロナ禍は共通する部分が多い災害であることを知りました。
●国内最大規模のコホート研究に参加

そして9月から現在に至るまで、坪倉先生が主導する国内最大規模のコロナワクチン抗体コホート研究をお手伝いしています。
主には、抗体検査に用いる採血スピッツの作成や問診表データベースの作成などの作業に取り組みました。この研究は今冬の3回目接種を見据えたもので、2度のワクチン接種を終えた福島県民約2500人を対象に3カ月おきの採血を計5回実施し、血液中の抗体価の推移を分析するものです。
この検査の結果、中和活性の値は2回目接種により大幅に増加するものの、接種後150日以上経過した人の中和活性の平均値は60日未満の人と比べて約3割まで減少していることが判明しました。
また、ワクチン接種により獲得される中和活性の値は高齢であるほど低く、その後下がりやすいことも確認できました。
こうした傾向から、一部の高齢者や2回目接種から約5カ月以上経った人は、ワクチンの効果が低下し十分な免疫力をもたない可能性があるため、第6波に備え早急な3回目接種の開始が必要だと結論付けられました。
そして実際にこの研究成果に基づき、立谷秀清全国市長会会長から岸田首相に3回目のワクチン接種体制を12月までに整える要請も出されました。日本の今後のコロナ対策を左右しうる社会貢献度の高い研究に微力ながら携わることができ、とても貴重な経験となりました。
このようにここ半年間の私の大学生活は、いろいろな意味においてコロナが中心でした。キャンパスを飛び出し医療現場を訪れたことで、コロナ禍による大学の活動制限は結果的に学業にとってプラスに作用したと実感しています。
これまで私が医療現場でお世話になったすべての方々への深い感謝の念を忘れず、今後もより一層精進していきたいと思います。

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ご覧になる環境により、文字化けを起こすことがあります。その際はHPより原稿をご覧いただけますのでご確認ください。
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MRIC by 医療ガバナンス学会

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[748](寄稿)読書について

ペンギンドクターより
その2

読書について、少し述べます。
 先日、トマ・ピケティ著『21世紀の資本』を読了しました。原文は2013年に刊行され、邦訳は2014年12月8日第1刷、12月22日第4刷とみすず書房から大量に増刷されたベストセラーでした。私も2015年に池袋ジュンク堂にて購入しましたが、エスカレーターを降りたすぐ前に100冊前後平積みになっていました。注など100ページを除いた本文だけでも600ページ余りあり、とても気楽に読める本ではありません。一時上の娘の前夫が貸してくれというので貸しましたが、当然未読のまま回収しました。本が戻って来てからも私は読む気にならずしばらく放置していました。4ヶ月ほど前に思い立ってようやく読み始めたのです。どういうやり方で読んだかというと、実は検診の仕事の合間に読んだのです。
 検診の仕事は、9時から1時間程度は次から次へと診察で忙しいのですが、その後パラパラと受診者がみえるぐらいで、暇になります。私の場合、朝早く来て数日間の上部消化管のレントゲン写真の読影がありますが、検診そのものは10時以降2時間近く診察室でひとりになる時間があります。コロナ以前はこの2時間ですべての内視鏡の結果説明をしていました。ところが、コロナ発生以降、原則的に結果説明は省略となりました。他の医師はともかく、私は昔は胃がんの専門家でしたから、胃の内視鏡結果説明では胃における「ピロリ菌」の意味など熱心に説明していました。今はどうしてもと希望する受診者がいるくらいであり、私はこの診察のあいまの時間を、分厚い読みにくい硬い本の読書に充てることにしたのです。ボーボワール『老い』とかアントニオ・ネグリマイケル・ハート『<帝国>』、デヴィッド・ハーヴェイ『経済的理性の狂気』などはこうしたやり方で読みました。分厚い本なので寝転がって読むことはできず、椅子に座って背を伸ばしている仕事のあいまが最もこういう本に適していたのです。難しい本なので、理解できないところも多いのですが、とにかく進む、わからないことは無視して数ページだけでも字面を追って、折り込みを入れていく、中断箇所にしおりを入れて目印はつけておく。自宅で読むことはしない。検診のあいまだけがこの本の読書時間と決めていました。

 さて、ピケティ『21世紀の資本』です。ピケティは1971年フランス生まれ。パリ経済学校経済学教授、社会科学高等研究院(EHESS)教授です。裏表紙の本分より抜粋したコピー(広告文)を記します。

「本書の答えは、これまでの研究者が使えたものよりもはるかに広範な、長期的で比較可能なデータに基づいた答えとなっている…格差の根底にある仕組みについて、もっと深い理解を与えてくれるような、新しい理論的な枠組みに基づいたものである」
「1970年代以来、所得格差は富裕国で大幅に増大した。特にこれは米国に顕著だった。米国では、2000年代における所得の集中は、1910年代の水準に戻ってしまった――それどころか、少し上回るほどになっている」
「私の理論における格差拡大の主要な力は、市場の不完全性とは何ら関係ない…その正反対だ。資本市場が完全になればなるほど、資本収益率rが経済成長率gを上回る可能性も高まる」
「格差の問題を経済分析の核心に戻して、19世紀に提起された問題を考え始める時期はとうに来ているのだ」(本文より)

 これだけではわかりにくいと思います。人類が平等に近かったのは第一次・第二次世界大戦の直後ぐらいであって、その後富の格差は米国のみならずヨーロッパ・アジアすべての地域で拡大してきている。それを是正するには資本税、つまり富裕層が所有している資本に累進課税をかけるしかないとピケティは述べています。
 ピケティはそのことを述べるために母国フランス(フランス革命によって1800年前後からフランスでは税の徴収記録が整備されて残っているようです)の過去のデータを詳細に検討しています。また可能な限り他の国(実際は記録がないことが多い)のデータも収集しています。この本が日本でこの種の本としては異例のベストセラーになるだけの説得力があります。

 あの佐藤優ももちろん読んでいて、ピケティと佐藤優の対談の本もあります。今日はこのへんにしておきます。これから競馬の有馬記念を女房と見ますので。
つづく


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[747](寄稿)三回目の接種

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ペンギンドクターより
その1

皆様
 寒いですね。冬だから当然とはいえ、寒波が今年は早く来ています。
 私は一日8000歩以上をクリアーするために、毎日ウェザーニュースで一時間毎の気象状況をチェックしています。今日は一日快晴ですが、午後から北西風が7-8メートルと強くなるので、朝7時半から公園散歩に行ってきました。外気温は2‐3℃でした。でも日差しはたっぷりで公園に人影はないものの、沼や池にいる水鳥のカモやオオバンが丘に上って、何やらついばんでいました。彼らは植物を摂取するので、草の茎や根などを食べていると思われます。オオバンは警戒心が強く、人が近づくと全部がスタコラ水の中に戻っていきます。しかし、今朝は人影のないせいか、逃げる気配がなく、私のほうで迂回して散歩した次第です。食事の邪魔をしては気の毒ですから。

 さて、MRICの情報を転送します。医学生の行動はともかく、文中の福島県にて行われたコロナワクチン接種後の「中和抗体の推移」は大変興味深い報告です。(註:[749]で掲載します。)このことに関しては、朝日新聞だったか、全国市長会会長の立花相馬市長(この市長については新しい連合会長を「美人会長」と言ったとかで批判的に話題になっていた人とも記憶していますが、間違っているかもしれません)が岸田首相に3回目のワクチン接種を急ぐべく、抗体価の変化にも言及して、要望書を提出したことが報道されていました。とにもかくにも、オミクロン株の上陸・蔓延が現実化していますので、3回目のワクチン接種が望まれます。

 ということで、実は私は12月23日(木)に新型コロナウイルスワクチン3回目の接種を受けました。
 1回目4月16日(金)、2回目5月7日(金)、3回目12月23日(木)ということになります。7か月あまり経過しての3回目です。市から接種の案内が来て、すぐに同じ私の仕事場でもある病院で接種となりました。
 なお、4週間前の11月24日(水)にはクリニックにて品不足が噂されていたインフルエンザワクチンの接種をしました。その時、昨年までは気にもならなかったインフルエンザワクチンの注射部位が女房ともども腫れたので、ちょっと不思議な感じがしていました。すると案の定、3回目の接種の翌日である昨日は注射部位の痛みに加えて全身倦怠感と軽い頭痛、さらに夕方測定したところでは、微熱(36.7℃)(私は毎週二回仕事の前に体温を測定していて常に36.4-36.5℃です)が認められました。ひょっとして風邪でも引いたかと思うような体調不良の状況でした。
 今朝になって、昨日とは明らかに調子がよくなっていますので、やはり昨日はワクチンによる副反応だったと納得しました。それでも昨日は、午前中は脚立に登って天井からぶら下がっているカーテンを洗濯したり、窓ふきをしたりしたのですから、医者としては不用心な男です。「いつもよりフラフラするな。年のせいだな、窓枠にしっかりつかまって気をつけてやろう」と言いきかせながら掃除していました。脚立から落ちなくてラッキーでした。

 以上、3回目のワクチンの副反応は私の場合二回目よりも強かったと結論できます。皆様もお気を付けください。
 8月以降の日本におけるコロナ感染の沈静化については、いろいろ検討されて学術雑誌に発表されているようです。説得力のある学説も出ていますが、要は今後の推移次第です。学術誌に掲載されたからといって、正しいかどうか私は疑問に思っています。特に日本人の特殊性を云々する説には、データが説得力があっても、まだ納得はしていません。
 8月以降のデルタ株感染の沈静化によって、政府・医療界も対策の先送りをするのではないかと危惧していましたが、オミクロン株の世界的流行で、日本も中だるみせずに、着々と対策の現実化が進んでいるようで、いいことだと思っています。オミクロン株自体は世界の状況を見ると、感染力が強いものの、重症化や致死率は低いような報道があります。そうであってほしいものの、そうだとしても私は巣ごもり生活を変えるつもりはありません。朝は4時半~5時に起きてメールチェックに医療クイズ、朝食そして・・・・・・仕事以外は読書と読書記録の作成、毎日の散歩、録画したテレビ番組の食事時の鑑賞、夜は録画鑑賞の前に5分ほど女房に肩もみをしてもらい、録画鑑賞時は私が女房の肩もみをして午後9時過ぎにはさっさとベッドに入るというパターンです。
つづく

[746]習近平思想研究センター

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 いま習近平指導部は中国の大学に習近平思想を研究するセンターを相次いで開設しています。北京大学は「習近平の新時代の中国の特色ある社会主義研究院」のもとに、経済、法治、外交、生態文明の4つの研究センターを開設しました。
 2020年秋の党大会に向け学生、教員の思想教育を強化するのでしょう。しかし、哲学がない。4つの課題の内実は定かではありませんが、「中国の特色ある社会主義」の研究は本質論探求の匂いがしません。今の中国共産党にそんなことをいってもしかたないのですが、つい言いたくなります。こっそり勉強するしかないですね。
 2021年の共産党6中全会の「第三の歴史決議」では一帯一路構想にもとづいて改革開放を永続的に進めていくことが謳われました。そこでは中国の資本主義化がマルクス主義の中国化というように呼ばれています。
 しかし労働力が商品化された資本主義中国では労働者は労働力を商品として資本家に売らなければ生きられません。低賃金で非正規雇用が多く、いわゆるギガワーカーが2億人にのぼります。この現実はどう見ても「社会主義」社会とは言えません。
 中国の学生がマルクスのたとえば『共産党宣言』や『賃労働と資本』だけでも真面目に読めば、中国が社会主義だとは思わないでしょう。さらに『資本論』や『ゴータ綱領批判』を読んで、現代中国の分析に適用すれば習近平のいう「新時代の中国の特色のある社会主義」とは党官僚に統制された資本主義であることは容易にわかることでしょう。
 そして学生が中国社会を根底的に変革するという立場にたって学問すれば、彼らは大学のなかで成長し変革的実践に踏み出す可能性があるのです。
 習近平はそれを恐れ、大学教育の統制にのり出しているのです。習近平は2018年の1月に北京大の4つのセンターの上部組織として習近平思想研究院を設置し、10月には北京市のスパイ活動の取り締まりの責任者である邱水平を大学のトップに据えました。北京大は中国の学生運動の拠点として伝統があり、1919年の「五・四運動」に多数参加し、1989年の天安門事件を主導しました。
 邱水平はホームページで「第19期中央委員会第6回全体会議を受けて、習近平思想のさらなる学習を徹底する」と言いました。
 精華大学、復旦大学、南京大学、上海交通大学でも習近平思想を学ぶ研修施設やカリキュラムがつくられています。
 中国の学生たちの良心と理性と知性がふるいにかけられます。
若者よ!がんばれ✊‼️

[745]ソ連邦が崩壊して30年、問われること

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 30年前、1991年12月25日にソ連大統領ミハイル・ゴルバチョフが辞任し、鎌と鎚の赤旗がおろされロシア連邦の白・青・赤の三色旗が掲げられました。ソ連邦は自己崩壊しました。

 24日の北海道新聞の〈卓上四季〉が「ソ連の限界」にふれています。

12/24 05:00

ソ連共産党中央委員会が1990年に作成したポスターがある。中央には国章が記された大きな赤い演壇。右隅には熱心に考えをメモに記すレーニン。タイトルは「レーニンに発言を!」▼党は当時「真のレーニン」という回帰路線を掲げていた。演壇は硬直化した党の象徴だ。初代指導者の姿を持ち出すことで刷新を図ったのだが、むしろレーニンの思想の形骸化を自ら示す格好となった▼ソ連崩壊からあすで30年。世界を驚かせた大国の消滅だが、市民はすでに86年のグラスノスチ(情報公開)から変化を感じ始めていたという(アレクセイ・ユルチャク著「最後のソ連世代」)▼崩壊の胎動は85年に就任したゴルバチョフ書記長の演説にも見られる。課題を列挙しながら、その答えを示さなかったのは、個人の自発性や創造性の奮起を促す過去の演説の限界を悟っていたのだろう▼90年に渡米した文化人類学者ユルチャクは「市民は社会主義を重要な価値と受け止めながら、日常生活では国家や党が定めた規範や規則を破り、曲げ、無視していた」と振り返る。党が敵視したロックバンドのマネジャーも務めた「最後のソ連世代」の言葉には説得力がある▼行き詰まった政体や権力は「真」や「新しさ」を求めるものだ。国民はその矛盾を冷静に見つめ、限界を肌で感じるものなのだろう。「改革」の先にあった崩壊に感懐を覚える師走である。
2021・12・24

 ソ連邦自己崩壊30年がたちました。〈卓上四季〉は30年前のソ連崩壊にいま「感懐」をもって書いています。
 1990年のポスターを私はみたことはないのですが、「レーニンに発言を!」というタイトルがつけられているということは、ソ連共産党が堕落し「社会主義建設」が行き詰っていたことが背景にあるのです。ロシア革命の原点に帰れという趣旨でしょう。
 1956年のソ連共産党第20回大会でフルシチョフとミコヤンによってなされたスターリン批判に全世界の共産党(員)は大混乱しました。53年に死去したスターリンは偶像化されていたからです。当時のソ連共産党の指導者は崇拝の対象をスターリンからレーニンにとりかえ、混乱の収拾をはかりましたが、なぜ個人崇拝を許したのかという主体的な反省はできませんでした。そして官僚主義がますますはびこったのでした。

停滞の30年

 それから1986までの30年間社会主義経済建設は停滞し社会全体に無気力と惰性がはびこったのです。当時のソ連に月曜日につくられた釘を買うなという小話があったのを思いだします。日曜日には労働者が酒をのみ過ぎて翌日二日酔いで工場に来るためノルマ数を達成するために不良品だらけの釘をつくるというわけなのです。釘にかぎらずいい生産物ををたくさんつくるための技術的改善は共産党幹部も労働者もやらなくなってしまったのです。
 1985年にゴルバチョフ共産党書記長として「グラスノスチ」(情報の公開)に踏みきったのは、根強くはびこっていた官僚主義にメスをふるい、惰性態と化した大衆を活性化させ、もってソ連邦の党・国家・社会に喝を入れることでした。勤労大衆を覚醒させ意識性を高めるために情報の公開を活用しようとしたのでした。
 がしかし、うまくいきませんでした。スターリン主義官僚ゴルバチョフ自身がなぜこうなったのか反省する理論的思想的武器をもたなかったからです。
 〈卓上四季〉はゴルバチョフが1985年の演説で課題を列挙しながら、その答えを示さなかったといいます。技術論も技術学も知らず、哲学もないゴルバチョフはどうしていいかわからなかったのです。スターリン主義官僚や労働者農民に情報の公開で精神的に刺激を与えることしかできなかったというべきでしょう。

ソ連邦崩壊後の30年

 1956年、ソ連圏で勃発したハンガリア革命を主体的にうけとめた日本のマルクス主義者がたちあがり、日本の地で反スターリン主義運動が勃興しました。この運動は日本の学生運動と労働運動のなかに急速に広まりました。たとえば1975年の動労国労をはじめとした公労協のスト権奪還ストライキでその影響力が示されました。そして世界に向かって帝国主義スターリン主義を倒すことを発信し続けました。奮闘したにもかかわらず、ソ連邦スターリン主義官僚専制支配体制はソ連の労働者民衆の力で倒されたのではなく自己崩壊したのです。
 だから世界の反対運動に与えた負の影響は大きかったのです。その結果世界の資本家たちはソ連の崩壊はマルクス主義の破綻だと喧伝し、資本主義と民主主義の勝利を謳歌したのです。ソ連スターリン主義マルクス主義と等置されマルクス主義の破綻とされたのです。
 この30年、世界の平和運動、労働運動は依るべきものを失い脱イデオロギー化され体制内化される過程でした。日本の労働運動は内部からの闘いにもかかわらず総体としては階級協調主義に染められ産業報国会化してしまっています。政府が賃金引き上げを資本家に要請している次第です。賃金闘争の低迷をのりこえていかなければなりません。

 〈卓上四季〉は、レーニントロツキースターリン、1917年ロシア革命時の労働者の生き生きした表情、そして30年前のゴルバチョフエリツィンの苦虫を噛み潰したような顔、そして崩壊後のハイパーインフレに苦しむロシアの人々の暗い表情を思いださせてくれました。
 2021年も暮れようとしています。新型コロナ危機への政府の対応によってうみだされた社会的危機は、われわれ労働者階級民衆に犠牲を転嫁するかたちで推転しています。
 ソ連邦崩壊30年のいま、あらゆる反対闘争の相次ぐ敗北のなかで、崩壊の根拠を探り運動の再建を地道に進めていくほか王道はないと思います。