[1615]哲学者・長谷川宏のインタビューを読んでー1 60年安保闘争

 4月29日朝日新聞の文化面「語る」に哲学者の長谷川宏のインタビューが載っています。第一回目の末尾に書かれた略歴を見て興味津々でインタビューを読みました。略歴は次のように書かれています。

「1940年生まれ。大学闘争後、学習塾を開くかたわら在野で研究、翻訳、執筆を続ける。『ヘーゲルの歴史意識』など」

 団塊の世代である私より一世代上です。

冒頭で著書が紹介されています。

《執筆8年、上下巻あわせて千ページを超す「日本精神史 近代篇(へん)」を昨秋、完成させた》

「一貫させたのは、個と共同体のせめぎあいの中、もがき、あらがい、懸命に生きた人に焦点を当てたことです。」

 すごい本を書いた人だと思います。インタビューを読むと主張はわかりやすく、親近感すら覚えました。

 長谷川は島根県平田市で戦時下に生まれた。きょうだいは5人で仲は良く、穏やかな記憶がほとんどだといいます。「保守的な田舎町でも戦争が終わった。新しい時代がきた、今までの軍国主義はいったい何だったんだと反発する空気は流れていたように思います。漠然と未来への、明るい希望を抱けていた。」と長谷川は子供時代を述懐しています。

 高校生の頃のことを語っています。

「勉強の合間、一番頭の冴えた時間帯に、図書館で借りた世界文学全集を片っ端から読むのが楽しみでした。世界への窓だった。わからないなりに、マルクスなんかもかじっていました。」

 (このブログを書いている私の中学生から高校生時代にかけて、母が貸本屋をやっていました。私はいろんな本を読み漫画も読んでいました。また、近くの親戚の家に文学全集があったのでよく借りて読んだものです。少年期に読んだものは漱石以外ほとんど内容は忘れましたけれど、なにがしかのことが私の内面に沈殿しているのではないかと思います。)

 私は当時マルクスは読んでいませんでしたが、友人から聞かされたり雑誌を読んで断片的に知ってはいました。右傾化する社会にたいする自分なりの意見を日記に綴っていました。

 戦後10年から20年、当時は多くの若者が戦争で受けた社会の痛みを生々しく感受していました。資本主義的復活過程の日本・世界の出来事をそれぞれの考え方・感性を土台として内容は様々ですが新鮮に感じる時代であったと思います。メディアは新聞、ラジオ、月刊や週刊の雑誌しかありませんでした。

 長谷川は60年安保闘争に参加した自分を語っています。

 1958年に東京大学文科Ⅰ類に入学した長谷川はインタビューで次のようにいいます。

「同級生の雰囲気には驚き、強い違和感を抱きましたね。法学部や経済学部へ進学するクラスだったせいか、如才のない人が多く、大学を将来の特権を得るための切符としか考えていないようにみえた。

 もちろん僕だって、そういう思いがあったのは否定できない。でも本物の学問との出会いを期待していたから、ズレを感じました。知らない人はいないような田舎町を出て大都会に暮らす孤独感もあったと思う。」

 長谷川は真面目な学徒。同級生にはその自分からみると如才ないと思われる人が多かったのでしょう。それはそうでしょうが、決して真面目な学徒とはいえない私の学生時代の体験では、当時マイナーだったサッカーに夢中になったり飲んで騒いだりした生活の中で何か満たされない不安が影のように私の中に湧き続けていました。おそらく長谷川の同級生の中にも、如才なく振る舞っていてもその自分をいけないと感じる自分が同居していた学友もいたのではないかと思います。

つづく