[845](寄稿)医療あれこれ(その65)

ペンギンドクターより
その2
 
 一昨日の3月30日(水)でクリニックのパート医を退職しました。日記(5年連用日記を29年前からつけていて、しかもその日記の中で日常とは異なるエポックをパソコンに抜き出しておいた)をチェックしたところ、2004年6月2日(水)から勤務していたので、実質17年10カ月務めたことになります。あっという間の18年というわけですが、在宅医療が中心ですので、外来患者は少なくてすみ、じっくり患者さんと話すことができて、全体として、良好な医師・患者関係ができたように思います。ちょうど内科医に転身する必要もあった時期でしたから、勉強にもなりました。同時並行として猛烈な患者数の医院の一般外来もあって、そちらと比較して落ち着いて診療ができました。在宅医療は時代の流れでしたから、時流にも乗り、医師もナースも意欲にあふれた人が次々と入職してきて、私の少し先取りした論理も理解してもらえて楽しく仕事ができました。
 勤務のきっかけは、もともとこのクリニックを始めた理事長が、2004年4月14日に当時私が院長をしていた病院に患者さんのことで私を訪ねてきたからです。そこで、私が5月いっぱいで院長をやめると伝えたら、「じゃあ、外来を手伝ってほしい」との依頼がありました。私はその翌年には大学の先輩に依頼されていた民間病院に行かなければいけなかったので、「研究日をバイトに使えるし、ちょうどいいや」と引き受けました。
 彼との出会いは、それ以前から私が週一度医大から派遣されて外科(私一人)の面倒をみていた整形外科主体の病院での出会いです。彼がそこの病院の副院長・整形外科部長をしていたからです。もう30年以上前になります・・・・・・。

 いろいろ昔話をしても、皆様にはつまらないと思いますのでやめますが、介護保険が動き出したのが、2000年ですし、1990年前後からの30年余りは日本の医療が大きく変化し始めた時代です。私はその30年余りを医療の最前線および医師会活動を通して医療行政の最前線も経験したことになります。まあ面白かったと言うと語弊がありますが、やりがいのあった時代だったと言えるでしょう。この話はいずれ機会があればということにします。

 さて、医療というのは何があるかわからないという事例をひとつ。
 3月23日(水)私の外来に70歳の男性の患者さんが来院しました。数年前に東京から引っ越してきて、紹介状もあり、たまたま初診が私の外来でした。心療内科・精神科からの紹介状で、不安神経症が主体で軽い糖尿病や高血圧もあり、その薬剤を内服していました。私はそのままその薬剤を処方していました。
 十分なコミュニケ―ションができているという関係とはちょっと違います。冗談を言ったり、「人は必ず死ぬんだ、そろそろ認知症やガンが出来てくるころだ」という話をするような関係ではない、普通の医師と患者関係と言えるでしょう。インテリジェンスがないわけではなく、応答もしっかりしています。前から、3月で退職ということは言っていました。
 その70歳の男性が、「昨日の朝、ベッドから落ちて左胸を打った。仕事にも行ったが、痛みが続くので来ました。呼吸困難はなくぶつけたところが変化しているわけではない。」とのこと。私が押してみてもどこがひどく痛むというわけでもありません。単なる打撲だろうと思いましたが、一応胸の写真(前後方向の胸部XP)を撮ることにしました。「胸の写真を撮りますね」と言うと、「お願いします」とのこと。私は、「かなり気にしているのだな・・・・・」と思いながら、放射線のスイッチを押しました。
 胸部XPは肋骨骨折や肋軟骨骨折があっても、骨がずれたりしていない場合、ひびが入ったぐらいではわかりません。その話をしつつ、よくチェックしてみると、右側の横隔膜と肺との間は問題ないのに、左側にわずかに「胸水」がたまっている可能性があったのです。詳細は医療用語ですので、説明しにくいのですが、以前軽い肺炎などでもそういう変化は残りますから、今回のベッドから転落したことが関係しているかどうかはわかりません。本人は少なくともケロッとしています。パルスオキシメーターによる酸素飽和度も正常です。そういう話をしていたら、約2年前に左側の胸部および肩関節の写真があったのです。このへんは電子カルテのいいところです。それを拡大してみたら、たまたま映っていた該当箇所には「胸水」はないのです。2年前からこれまでに、肺炎もないとのこと、やはりこれは今回のベッドから転落したことが関係しているかもしれません。

 患者さんには、二つの写真を比較してみせて、私の上記の考えを話し、「一枚の写真では何とも言えない。経過をみてもいいとも思うが、紹介状を書くから市民病院に行きますか?」と聞くと「行きます」とのことでした。11時過ぎるので、ナースは市民病院の医療連携室に連絡して、すぐに受診の手配をしてくれました。彼女も緊急性はないと思っていたので、「明日でもいいですか」と聞くので、「出来れば総合診療科にでも今日受診でお願いしてくれ」と伝えました。結果は「急いで来てください」というので、クリニックの会計などは後日として、受診となりました。紹介状には「微量の胸水あり、さらに不安神経症・糖尿病などあり」と略述して行ってもらいました。

 3月30日(水)の市民病院からの返事は、「軽度の気胸・血胸」があるものの、軽いので心臓血管外科の外来で経過をみるとのことでした。その返事をナースに見せて、「ベッドから落ちたぐらいで大したことないとは思ったけれど、普通はそんなことで医師にかかろうと思わないのにわざわざ病院に来ようと思ったのはやっぱりいつもと違う、相当痛かったんだろうね」と反省しました。「ベッドから落ちたぐらいでそういうこともあるんですね・・・・・・」という結論になりました。

 私としては、最後の最後で際どいケースに遭遇し、結果的にはきちんとした対応ができてホッとした次第です。そのままクリニックで経過をみて重症化するとは思いませんが、一応大病院で専門家が経過をみていれば、何か起こっても問題ありませんが、いろいろ検査できないクリニックでみるという場合は、何か起こればまずいことになるでしょう。
 そういうちょっとした気遣いが臨床では必要になります。私のように県医師会で6年間「医事紛争」を扱い、自らも多くの医療ミス(アクシデント・インシデント)を経験してきて、医療の不確実性、医療(人間の生命・疾患を扱う)という明日は何が起こるかわからない世界をみてきたものとして、現場から離れることがそろそろ必要だと考えたことは間違ってないと思ったケースでした。
 一方、この2日間はちょっと寂しい気分にもなりました。職員が花束をくれ、院長が焼酎「森伊蔵」と日本酒「久保田萬壽」の四合瓶をくれて、さらに日本酒をもって訪ねてきた事務長と昔話をし、理事長たちの寄せ書きと法人からの餞別をもらって帰ってくると本当に臨床から離れるのだなと実感がわいた次第です。
 長々と話しました。49年は長いようで短いということでもあります。
 アーレントの『全体主義の起源』の本の話をしようと思いましたが、それはいつかまた。
つづく

f:id:new-corona-kiki:20220402120202j:plain