[1351](寄稿)医療あれこれ(その91)ー4 随筆

 

ペンギンドクターより

その4

 添付ファイルは、私が20年近く前に書いたエッセイです。先日二階の書斎のガラクタを整理していたら出てきたものです。自分で読み返してちょっと面白いと思ったので添付します。

 

恩寵の時間―その71

 

 最近、短歌や俳句を読んでみて、つくづく思うことがある。

 やはりその人の生き様こそが、その価値を決定している。小説は、技巧やサービス精神が、ある程度小説の面白さ、価値の一部を決めることがある。しかし、ひとつひとつの日本語のもつイメージが全てである、「短歌」、「俳句」、「詩」は、作者が生きた人生そのものが、その言葉に表れてくる。ごまかしはきかない。

 詩は別として、短歌や俳句は、日本の伝統そのものである。五七五、五七五七七の伝統からはみ出すにはよほどの覚悟がいる。また、誰にでもわかる平易な言葉で表現するべきである。人に頭で考えさせるような理屈の句や歌であってはならない。

 小林一茶の句がある。「南天よ炬燵やぐらよ淋しさよ」何の技巧もない。しかし、何と心を打つことだろう。「行雲やかへらぬ秋を蝉の鳴」も同様である。「あの月をとってくれろと泣子哉」などの滑稽味のある句ばかりと思っていた私の一茶観を、根本的に変える、一茶の人生そのものをうかがわせる素晴らしい句である。

 石川啄木もまた然り。「函館の青柳町こそかなしけれ友の恋歌矢ぐるまの花」この歌は、私をして、函館駅に降り立ち、路面電車で青柳町を訪れさせた磁力を持つ歌である。どこがいいのかと言われても答えようがない。しかし、この歌は、私に、彼の周辺の若い人々が、世に受け入れられず、消えていったあの時代の悲しみを思い浮かべさせてくれる。「浅草の夜のにぎはひにまぎれ入りまぎれ出で来しさびしき心」「不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心」わかりやすい歌である。言葉としては、「まぎれ入りまぎれ出で来し」「空に吸はれし」がリズム感と的確な表現力において優れていると思う。だが、要は、啄木のあの頃の気持ちが率直に伝わってくるという良さである。彼の不遇だった人生そのものをこれらの歌から想像することができる。

 吉井勇の歌がある。「紅燈のちまたにゆきてかへらざる人をまことのわれと思ふや」「世をあげてわれをあざける時来とも吾子よ汝のみは父をうとむな」。平易な言葉で、すっと彼の生き様が私の心に入ってくる。いい歌だと思う。

 志貴皇子の有名な歌がある。「石ばしる垂水の上のさ蕨の萌え出ずる春になりにけるかも」この歌から、暖かな春の日差しのなかで光る水を目の前に見ることが出来る。

 谷崎潤一郎吉井勇全集に寄せた序文の中で「私は吉井君の、変に頑な専門の歌人臭くないところが好きであった。元来歌はその善し悪しが素人にも直ぐ分るやうなものでなければならないと、私はいつもさう思ってゐるのだが、吉井君の歌はさう云う歌であった、、、、、」とあるのを見て、意を強くした。

 五島美代子「春寒くふとき縞なして光る風目に見ゆとおもふ身に痛きばかり」菊池庫郎「白き蝶ばかり飛ぶよと見にけるが秋の日差に来るや黄の蝶」これらの歌が、駄作だというわけではない。光るものはある。ただ、近現代の歌会の歌、結社を作り、弟子とともに結社を運営する人々の歌ではないのか?と、寂しく思われてならない。