[1548]『なるようになる。僕はこんな風に生きてきた』(養老孟司 中央公論新社)について

 

 表題の本は読売新聞の鵜飼哲夫さんが、養老さんの今までの人生についてインタビューしたものを文章にして出版された本です。

 いま私はこの本を組合活動の合間に読んでいます。途中から読んでも面白いです。

 読み進めながら感想を書いていきます。

 東大の解剖学教室の助手時代に次のようなことがあり考えたそうです。

Ⅲ 解剖学者の奮闘 101頁から引用します。

 

「助手時代、まだ自分の研究室にエアコンがなかったのに、医学部に冷暖房完備の実験動物棟が建ったことにもへそを曲げたね。

 いつも餌があってね、水があり、敵がいないところに生物が生きているわけではない。恵まれた環境で飼われる動物はブロイラーみたいなものですよ。それを見て、『これは動物じゃねぇ』と思った。子どもの頃から生き物に親しんできた自分の日常感覚からすると、仮説を立てて実験動物で研究する欧米流の自然科学は『人工』科学にしか見えず、肌に合わない。」

 

 養老さんが「これは動物じゃねぇ」と思ったことに私はなるほどと思いました。実験動物は野生の動物と違って生息の環境が人間によって整えられています。人間化された動物と言ってもいいと思います。自然界の動物は周りの自然との対立矛盾関係を止揚するために本能的に行為して生きています。

連想したことがあります。

 動物は人間も含めて主客の適応矛盾の中で、客体に働きかけ客体を主体化すること=食う形で主客の矛盾を克服して生きています。抽象的に言えば矛盾があるから物質の運動があり物質の生成・発展・消滅がある。

 本質論的に言えば矛盾と運動のないところに物質はないのではないか。宇宙そのものが物質の対立・矛盾・運動によって生成発展したのではないか。直感的な言い方でありますが、養老さんの本に触発されて、言われていることから論旨は離れましたがつい連想が広がりました。

つづく