[1053]中国共産党第20回大会に想う

 

 中国共産党第20回大会が北京で行われました。国家資本主義へと転身した現代中国を牽引する共産党は、習近平批判派を指導部から一掃して習一強体制を確立しました。

 はじめから少し横道にそれますが「共産党第20回大会」という言葉は、私に1956年2月のソ連共産党第20回大会を連想させます。当時の指導部フルシチョフ、ミコヤンがあの大会で「スターリン批判」を行いました。

 私と同世代の方はまだ小学生でそのときの記憶はないかもしれません。私自身、あとでその重大な意味を知リました。当時の世界は米ソによって分割支配されており、第20回大会の3年前に没したスターリンの権威はなお絶大でした。       

 しかし「社会主義」陣営の総本山だったソ連共産党大会でスターリン批判と彼にたいする個人崇拝が批判されたことは世界の共産主義者にとって衝撃的な出来事でした。ソ連邦社会主義の歪んだ形態でしかないと考えていたマルクス主義者はほとんどいない時代でした。

 ソ連社会主義建設の歪みと党の官僚主義スターリン個人のせいにした批判だったとはいえ、あの大会を起点として国際共産主義運動は大きく揺れ動きました。 

 1956年の10月「社会主義」ハンガリアの労動者学生の反政府闘争が勃発。世界中の共産主義者、党が反政府闘争は帝国主義の手先の動乱だと決めつけました。しかしその時ソ連軍の弾圧に抗議した日本の青年マルクス主義哲学徒によってスターリン主義に反対する運動がはじめられ、数年の間に日本の労働運動、学生運動は質的に転換していきました。60年安保闘争をくぐり抜け日本共産党の前衛党神話は崩壊し、70年安保反対闘争、学園闘争の中で反スターリン主義運動が進められるとともに、反代々木の諸潮流が浮かんでは消え様々な形でいっときの高揚がつくりだされました···········。反代々木というのは代々木に本部がある日本共産党に批判的という意味です。

 私が学生時代、クラス100名のうち半分が安保反対デモに参加しました。けれども東大闘争が終焉し、全国学園闘争が収拾されていく中で徐々に学生運動の波は後退していきました。労働運動も弾圧の嵐にさらされ右寄りに再編されました。80年代後半に総評が解体され連合結成へと向かっていったのです。

 1991年ソ連邦が自己崩壊。自国がそうなることをおそれた中国共産党社会主義市場経済という矛盾するイデオロギーをひねり出し党専制体制のもとで国家資本主義へと転変したのです。

 中国共産党大会に戻ります。

 今、中国共産党は資本家階級の利益を代表する党になってしまいました。いまやアメリカと肩を並べるほどの資本主義大国となった中国は共産主義ではない「共産党」として中国の人民を支配しています。中国共産党大会で言われている「共同富裕」というのは社会主義の思想ではありません。資本制生産様式を前提として資本家階級が労働者階級から搾取した剰余価値の一部を政府に上納し社会福祉政策に使うという格差是正の資本主義的イデオロギーです。

 中国共産党第20回大会は、ほころびはじめた中国式国家資本主義を弥縫するために習近平専決体制と言える指導体制を確立し閉会しました。  

 習近平は国内外で発生する諸矛盾に労働者階級の反発があり、その諸矛盾を打開する方途をめぐって指導部内に生じた深刻な対立を強権的に乗りきっていくことを一強体制の確立をもって宣言しました。