[757](寄稿)HPVワクチンの接種

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ペンギンドクターより
その1(12月30日)

皆様
 毎回同じことを言いますが、寒いですね。
 立て続けですが、今年最後の医療情報をお届けします。
 子宮頸がんについてです。
 先日、私がK病院の病理科時代の「胎児のいる子宮頸がん」手術例の経験をお話しました。この例は子宮頸がんによる女性の死の危険とともに、生まれることを望まれていた胎児の死亡という悲劇を示しています。
 以下古いデータ(私は2013年のがん統計として2017年11月6日に皆様に送信しています)ですが、子宮頸がんの罹患率トップ5の数字を示します。

 子宮頸がん罹患率(人口10万人対)(国立がんセンター2017年がん統計より)
①40-44歳 30.195人
②45-49歳 27.070人
③35-39歳 25.789人
④50-54歳 22.521人
⑤30-34歳 20.229人
 比較のために乳がん罹患率を示します。桁違いに多いのですが、頸がんよりも高齢です。
①60-64歳 217.499人
②45-49歳 211.345人
③65-69歳 209.411人
④55-59歳 197.867人
⑤50-54歳 197.774人
 さらに比較のために子宮体癌罹患率も提示します。
①55-59歳 51.156人
②50-54歳 47.295人
③60-64歳 38.835人
④65-69歳 32.108人
⑤70-74歳 28.793人
 子宮頸がんと比較して、高齢であり妊娠可能年齢の女性はトップファイブに入っていません。
 乳がん子宮体癌もその原因が明らかになっていないのに比べて、子宮頸がんの主因は「HPV感染です」。もちろんタバコも一因です。がんの殆んどはタバコが関与していますが、唯一タバコが無関係という疾患が子宮体癌ですが、この話はポイントがずれるのでここまでとします。

 私の言わんとすることはおわかりでしょう。「少子化」を憂い、「人口減少に怯えている」日本政府・経済界はどうして8年半もの間、子宮頸がんワクチン接種の推奨を停止したまま放置してきたのか、私には理解できません。例えば、立憲民主党で今回当選した阿部知子議員は小児科の医師ですが、彼女が昔からHPVワクチン接種推奨の運動をしていたかどうか、寡聞にして知りませんが、一般に「リベラル」な方々やマスコミは、少数者の人権を守るとか、弱者に耳を傾けると称して、ワクチンに対して当初は否定的な言動が多かったと私は理解しています。
 医療界でも産婦人科特に婦人科の子宮がんを扱う医師は、HPVワクチンの接種の啓発活動をしてきていましたが、全体としては消極的だったと思います。
 少子化は、先進国では世界的な潮流です。旧態依然たる「男は仕事、女は家庭」という時代から取り残された「イデオロギー」に自民党の「一部」は執着しているようですが、もっと人口減の原因を調査研究する「まともな頭を持った政治家」はいないのか、私は絶望的になります。

 さて、転送する濱木医師の意見に加えて、具体的な先進国のデータをお示しします。国別のHPVワクチンの種別と接種率です。原文はもっと詳細ですが、表はうまく送信できないので抜粋としました。

オーストラリア:9価(2018年から9価のみ)、接種率女子:72%、男子:69%
米国:9価(2017年から9価のみ)、女子:56.8%、男子:51.8%
カナダ:9価(2015年に9価を導入)、女子87%、男子:73%
フランス:2価/9価(初回は9価)、男子は2021年導入、女子:23.7%、男子はデータなし
英国:9価(4価は2021年5月に終了)、男子は2019年導入、女子:66%、男子はデータなし
ドイツ:2価/9価、男子は2018年導入、女子:43%、男子はデータなし
デンマーク:9価(2017年に9価を導入)、男子は2019年導入、女子:67.8%、男子:37.8%
イタリア:9価、女子:31.0%、男子:25.5%
スイス:9価(2019年に9価を導入)、女子:63.4%、男子:37.4%
日本:2価/4価、女子:0.8%

 ご存じのように男性の陰茎がんの原因もHPVウイルスです。

 8年半前のHPVウイルスワクチン接種勧奨の停止当時の田村憲久厚生労働大臣は「自ら十字架を背負う」と最近述べたそうですが、キリストのように十字架を背負ってゴルゴタの丘を登り磔刑を受けるつもりなのか、反省という言葉よりも強い気持ちを表したつもりなのでしょう。聞いている私としては場違いなむしろ軽い発言として受取ります。情ない日本の現実です。

 今年はコロナを中心としていろいろしゃべりました。耳障りなことも多かったと思います。来年もよろしくお願いします。
    
(編集者註:濱木医師の意見は次回紹介します。)

[756](投稿)山の小僧

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<卓上四季>山の小僧
01/05 05:00
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「おほさむこさむ 山から小僧がとんでくる」。ある寒い冬の晩のこと。奥座敷のこたつにあたりながら、童謡「おおさむこさむ」を口ずさむおばあさんに三郎は尋ねる。「小僧がなぜ山からとんでくるの」。童話作家、土田耕平の「大寒小寒」の冒頭の場面である▼山にはこたつも家もない。木の股から生まれた山の小僧はひとりぼっち。人家の外で「火にあたらせて」と頼んでも、その声は人間の耳に届かない▼「もしかすれば、今じぶんお家の門へきて立つてゐるかも知れない」。おばあさんの説明に少し気味悪くなる三郎。だが、おばあさんが焼いてくれた餅を食べるうちにすっかり小僧のことも忘れてしまう。かすかな後ろめたさが残るお話だ▼コロナ禍などで困窮する人々を支援する動きが年末年始も各地であった。炊き出しには長い列に並ぶ姿があり、自治体やNPOが設けた生活や医療の相談の窓口にも多くのSOSが届いている▼昨年暮れから数年に一度の厳しさという寒波に見舞われた日本列島。その寒空の下、行く当てもなく、その日の糧(かて)にも苦労する人々がいる。先の見通しが立たないという訴えは切実だ▼三郎が山の小僧に思いをはせたのは、ときどき風で吹きたわむ庭の竹の音に耳をすませたからだった。寒の入りを迎えてますます寒さも強まる季節だ。気づいたことから目を背けず、声なき訴えにも耳をそばだてたい。2022・1・5


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農民工の「切実な物語」は、心打つものでした。
世界中の「戦争前夜」のような動きとコロナや経済苦で苦しむ人々の姿が眼前に浮かびます。

今年もよろしくお願いいたします。

石川木鐸

[755]農民工 故郷に帰る その5

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賭けに出た元農民工・張建平

 帰郷してすでに2年がたち張建平は、賭けに出ようとしていました。大きな牛4頭、子牛を6頭買うために新たに300万円を借りました。大きなリスクを背負うが、うまくいけば一気に借金を返済できる。
 牛の販売業者とのやりとりです。

販売業者「小さな牛は34万円でどう?」

張「33万円」

販売業者「無理だ」

張「1万円の違いだろ」

販売業者「あの牛を他の人にいくらで売っていると思う?36万円だぞ」

必死の交渉が続く。

張「どうか負けてくださいよ。また買うから」

販売業者「お前も俺もまじめな人間だから、大きな牛はその値段でいい。子牛は・・・」

張「兄さん、いいだろう。今度俺のところに来たら、ご馳走しますよ」

 こうして張さんは牛を買いました。家族の将来がかかった大切な牛をトラックに乗せ、12時間かけて村へ帰りました。

「理想」の実現を待ち続ける人々

10月1日、国慶節。72回目の建国記念日を迎えた。

 資本主義化して急速な発展を遂げた中国は、労働者階級農民の搾取と収奪のうえにいま、「社会主義現代化強国」という名の資本主義大国として「総合国力で世界の先頭に立つ」ことを目指しているのです。

 フフホトで国慶節を迎えた張建平の長男・新雨。深刻な表情で、あるニュースを見ていました。不動産開発の巨大企業、恒大(こうだい)グループの経営危機。

新雨「恒大だけでなく、不動産業界全体が将来どうなるか分かりません。建築関係を専攻している自分の未来がどんな影響を受けるのか、心配です」

 習近平中華民族の発展を掲げるけれど、新雨は自らの夢の行方を、まだ見通せずにいる。

 紅石砬村では、張建平を父親の長祥が黙々と支えています。張「もう80歳近いのに申し訳ない。助かっています」と張は語ります。

長祥「これからお前も、俺みたいにここで年をとる。『落ち葉は根に帰る』ということだ。俺たちは苦労することだけは得意だからね。苦労に耐えなければ、生活はよくならないのだよ」

冬に備えて牛舎を整備する張。最低気温はマイナス20度、草木も凍る。

張「もうじき冬です、とても寒いよ。でも冬が来れば、春も近くなる」

 中国共産党社会主義市場経済という矛盾したスローガンのもとに中国人民を「社会主義」建設の破産から目をそらせ、資本主義大国化する方向に遁走を続けています。けれどもソ連邦の自己崩壊後、世界中を席巻したかに見える資本主義はいま危機を深めその犠牲を労働者階級に転嫁し生き延びる道を模索しています。
 新型コロナ感染症パンデミックは危機に立つ現代資本主義の暗部をうかびあがらせることになりました。中国も例外ではありませんでした。
 故郷に帰った農民工は自分たちの生活を守ることのできる社会をつくるために組織的に団結してたたかう日を必ずつくらなければなりません。
 私は故郷に帰った農民工とその家族の現状を知り今の中国で生きる民衆の苦労と苦悩を感じとることができました。日本の私たちもいま、新型コロナ危機のなかで解雇、雇い止めされ、そして様々な形をとった賃金抑制攻撃をうけています。中国労働者階級人民と連帯して低迷する労働運動を活性化させるためにたたかわなければなりません。

    「農民工 故郷に帰る」以上です。

[754]農民工 故郷に帰る その4

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夢を持てない若者たち

 息子の新雨が、大学の休みを利用して半年ぶりに帰省しました。
 子供の頃機械に巻き込まれ、治療の跡が残る新雨の右腕は、今も重いものを持ったり、激しく動かすことはできません。それでも苦労する父親を助けたいと、手伝いをしました。

張「勉強頑張って、いい仕事を見つけろ。その腕では農業は無理だ。お前が帰ってくるのを期待していたけど、きつくて無理だろ」

 体力が必要な仕事はできない新雨の仕事は限られているのです。
 新雨は言います。「先輩の中には卒業後、仕事が見つからなかった人もいます。機械工学専攻の卒業生が配達員になったり。そういうのを見ると、ますます焦ります。自分に向いている仕事を見つけられるのか」
 農村で育った若者たちが都市で暮らす場合には厳しい制度的な規制を受けるのです。
 共産党は都市への急激な人口流入防ぐために、都市と農村で戸籍を厳格に区別。そのため農村出身者は、出稼ぎで都市に住んでも、年金や医療などの社会保障を十分受けられませんでした。近年、戸籍制度の改革が進んでいますが、今も生活水準の高い大都市で戸籍を取得するには、専門性の高い職業に就くなど、狭き門を通る必要があるのです。
 しかし、待ち受けているのは、厳しい就職戦争。大卒相当の学歴を持つ人は、10年で倍近くに増えた一方で、多くの若者が希望するホワイトカラーの仕事は限られているのです。

ねそべり族

 こうしたなかで、若者の間に広がっているのが、競争から降りて、最低限の生活で満足する「寝そべり族」といわれる生き方です。
さらに若者たちは将来、大きな負担を抱えることにもなります。2000年代まで高齢者の割合は10%以下、莫大な数の生産年齢人口が成長を支えてきましたが、一人っ子政策の反動で急速に少子高齢化が進みます。  
 2050年にはおよそ高齢者は30%となり、医療、年金などの社会保障が、重い負担となるいわゆる「人口オーナス(負担)」の社会へと転じます。とりわけ農村では、医療や介護など公共サービスが不足しているため、深刻な問題です。

同窓会

 ある日、新雨は、高校時代を過ごした街に出かけた。農村出身の同級生たちと久しぶりの再会でした。多くが新雨と同様、大学生です。
 同級生のひとりが「一日も早く、ファーウェイみたいに成功できるよう乾杯しよう」と音頭をとりましたが、同じような境遇で育ってきた仲間たち。将来への不安を語り始めました。
 同級生は言います。「かなり大変だ。いつか両親は年をとる。自分の給料で親と子どもを養わなければならない。そんなの無理だよ」「勉強をしながら、家族のことまで考えると、負担もプレッシャーもとても大きい。自分のために生きていないような気がする」
 
投げやりに語る同級生もいました。
 「今が楽しければ、それでいい。休みになったら家で寝そべるだけ。毎日、スマホやパソコンを見て、ゲームで遊ぶ」

 ずっと仲間の話に耳を傾けていた新雨も口を開き言いました。
 「いつか国や社会のために貢献できる人になりたいと思っていました。しかし、自分にはそんな実力がないと分かってきました。せめて安定した職につくことが希望です」

 仲間たちが歌い始めた歌は若者の間でヒットした「平凡な道」という曲でした。

♪僕はかつて何もうまくいかず 全て投げ出していた 僕は無限の闇に墜ちて もがいても抜け出せなかった 僕はみんなと同じように 野原の草花でしかなかった 絶望のまま
渇望のまま 泣くも笑うもただ平凡でいる♪
 同窓会は「理想はいっぱい、現実は空っぽ。がんばろう!」と声をあげて散会しました。
 今の中国の農村で育った若者の歌に私は驚きました。こういうときにインターナショナルの歌がでないほど、スターリン主義中国の破綻の傷は深刻なのだと思います。

新雨が村を離れる日。

張「学費はいくら必要なんだ?」

新雨「3万6000円だけど」

張「とりあえず1万8000円だ。残りはまた今度にしてくれ」

張は手元に残っていた金を学費としてすべて渡した。

祖母「7000円あげる」

新雨「おばあちゃん、自分のためにとっておいてください」

祖母「持って行ってちょうだい」

新雨「自分のために使ってください」

祖父・長祥「持って行け」

祖母「持って行きなさい。交通費も食費もかかるでしょ」

祖母は2か月分の年金を手渡した。

 このシーンは厳しく悲しい。
つづく

[753]農民工 故郷に帰る その3

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資本主義化の犠牲をうける農民

 1949年の中国革命後、毛沢東が主導した共産党は「土地改革」によって地主の土地や財産を貧しい農民に分け与え、農村での支持を確固たるものとしました。
 しかし、朝鮮戦争アメリカの力を感じた中国は、急速な国力増強の必要性を感じ工業重視へと一気に舵を切ることになります。当時のソ連邦を参考に「計画経済」を導入し農地も個人所有から集団所有へと改め、農村から吸い上げた資金を、工業を担う大都市へ集中投下したのです。
 30年にわたって、中国の農村を研究する同志社大学・厳善平(げん・ぜんへい)教授は言います。
 植民地からの「搾取」によって、工業化を進めた列強諸国と異なり、中国では農村が成長の土台にされたと指摘します。
 「農業から工業へ、農村から都市へ、いかに資本を調達するか。そういったなかで、農民たちは国家工業化のために働いて、農産物を拠出し、一方で自分たちが非常に低い生活を余儀なくされる」
(ブログ管理人註:資本を調達するではなく資金を調達するとすべきでしょう。当時の中国は資本主義とはいえません。中国型「社会主義」です。)

 毛沢東人民公社方式による農業集団化は失敗し農民は貧窮しました。毛沢東は資本主義的な政策を主張する党内右派の鄧小平らに「走資派」と烙印を押し文化大革命のなかで権力闘争を展開しました。しかし毛沢東は敗北・失脚し1976年に没しました。
 1978年、改革開放路線への転換後、鄧小平は生産請負制を導入し、農家が経営主体となりました、しかし若い農民は市場経済の導入で、急速な発展を遂げた沿海部の都市資本家によって雇用され出稼ぎ農民工となりました。彼らは、安い労働力として使われました。
 その間、農村は人手の流出が止まらず荒廃。共産党は2000年代から、農業税の廃止など農家の負担軽減に乗り出しますが、抜本的な解決には至っていません。
 
農民工の怒り

 そしていま、共産党にとって、都市に残る農民工への対応も悩みのタネとなっています。
 北京の近郊では、行政が火災対策を進めるとして、農民工に立ち退きを命令しましたがそれに反対する抗議デモが起きました。恒大集団の破綻に象徴されるように、開発ラッシュが下火になるなか、コロナパンデミックのなかで解雇され居場所を失った農民工の怒りが、共産党政府にたいして爆発する可能性が高まっているのです。
 厳善平教授は「都市の中の格差も大きいし、そういう階層社会があって、その階層間の固定化も最近問題視されている。都市・農村間格差、そして階層間格差、その文脈で都市・農村格差を縮めていく必要が、やはりあるんだというふうに思われます」
 今の中国を現象論的に特徴づければそういえないことはありません。しかし中国は資本主義社会です。資本家階級と労働者階級との非和解的対立が社会の根底を貫いているのです。

進まぬ「郷村振興」

 共産党は2021年に郷村振興局を設立し農業の行き詰まりの打開しようとしています。しかしうまくはいっていません。

 出稼ぎから戻ってきた張建平も、問題に直面しています。牛のエサとして育てていたトウモロコシが、洪水で壊滅し村人から牧草を分けてもらっているが足りない。子牛が育つまで収入はほとんどない、と覚悟していたものの、エサや農場の整備に想定以上に金がかかり、借金が500万円にまで膨らんでいました。
 ある日、手伝いの男性が給料の支払いを求めてきました。妻がガンになり、治療のために金が必要だという。しかし、張のもとには、長男の新雨から学費を催促するメールが届いていた。給料を用意できず、手伝いの男性は仕事をやめてしまいました。

張「当然焦っていますが、時間をかけて稼ぐしかありません。困難はありますが、一歩ずつ進んでいきます」

 焦る張建平に78歳の父・長祥が声をかけた。長祥は、小作人として黙々と働く父の背中を見て育ち、大飢饉など中国の苦難の歴史を経験してきた。

長祥「お前の祖父の代からもう百年になる。当時はずっと地主の家で肉体労働をしてきた。あの頃は貧乏で何もなかったが、今は昔と比べれば、だいぶマシになったものだ」

張さんの親戚も貧窮

 ある晩、張建平の家を親戚が訪ねてきました。張延軍(ちょう・えんぐん)46歳。彼も3年前に出稼ぎから戻り、農業を始めました。言いづらそうに話を切り出しました。延軍「ジャガイモを収穫するために金がかかる。50万円ほど貸してもらえませんか?助けてください。近所の人からも借り尽くして、もう借りるあてがない」収穫の時期が迫っているが、手伝いを雇う金もないと言う。

 しかし張は「俺も金がない。牛のために金がいる。ネット金融で借金もしている。見てみろ。2日前に3万5000円、この日は4万円・・・」と答えるほかありませんでした。
 2人とも、それ以上、言葉が出ませんでした。

 30年にわたって出稼ぎ生活をしていた張延軍。共産党が打ち出す郷村振興の理想に共鳴して、妻と共にUターンを決意したのだと言います。70ヘクタールの土地を借りて、穀物やジャガイモなどを育てています。長年の出稼ぎで、農業の経験を積めなかった2人には見通しの甘さが次々と露呈していた。

延軍「このジャガイモは廃棄する」

妻・美玲「どうして」

延軍「緑色になっている」

美玲「緑色になると食べられないの?」

延軍「食べられない。市場で緑色のジャガイモを見たら買わないだろ」

 この夏の大雨で土が流され、日にあたったジャガイモが変色していた。健康食ブームをあてにして植えたアワの畑でも、問題が起きていた。除草剤がきかず、アワの畑に売り物にならないキビや雑草が大量に茂っていた。長年、出稼ぎに依存してきた農村は農業の担い手が育たない深刻な問題が生まれていました。

 美玲は言います。「私たちは畑仕事を全く分からなかったし、教えてくれる人もいませんでした。たしかに国の政策はいいです。しかし、私たちは理想を美化し過ぎました。現実が追いついていません。」彼女は国の政策はいい、と言いますが、農業の技術を教育されることもなく農村に戻れといわれてもうまく行くわけがないと反発しています。
 さらに夫婦には大きな誤算がありました。大規模農家に対して国から数百万円の補助金が出ると聞き、それをあてに、親戚や友人から金を借りました。しかし、補助金の窓口である地方政府からは、畑が隣村にまたがっているという理由で支払いを拒否されたのです。

延軍「先日、村の上層部に全部説明して、『国の政策に基づいて支払ってくれ』とお願いしたが、ダメだと言われた」

美玲「たばこをやめて、いらいらする。たばこにも金がかかるでしょ。まったく・・・」

延軍「俺を追いつめても金は出てこない」

美玲「それなら借金をしてきて」

延軍「借りられるところはもうない。どこで借りろって言うんだ?銀行やネットでも借りた。近所の人や親戚にも借りた」

美玲「じゃあどうするの?」

延軍「俺も方法を考えている」

美玲「今の言葉を聞いて、考えているとは思えない」

延軍「俺にはもう打つ手がない」

 延軍はインターネット上にあふれる農家の苦境を聞き、自分を慰めているのだそうです。たとえばネットの動画で「ここはわが村の貧困対策のために作られた養鶏場です。しかし、今は休業状態です。コネ・人脈を持っている人以外は、補助金をもらうことは至難の業です。なぜならこの社会は『コネ社会』だからです」という投稿もあり、中国の官僚専制支配体制のなかに発酵した腐敗が地方政治にもはびこっているのです。

延軍「まったく同感です。Uターン農業はみんな大変なようです。課題山積ですね。あちこちでうまくいっていない」

 そして村の行政にも、Uターン農家を支えきれない事情があった。
 この日、この地域の共産党支部の責任者である、書記が張建平のもとにやってきました。書記はこれまで、Uターンした農民工を支援するため、無利子の融資の紹介など、できることはやってきました。しかし、国からの補助金は他の地域との奪い合い。小さな村の書記には、補助金を多くの村人に行き渡らせる力はないと言う。

村の共産党書記「支援ができないのに役所に来られても何もできません。自分の力でやってもらうしかありません」と言う。
 
 Uターンした農民工は八方塞がりになっています。私は中国のこういう現実を知って、習近平が一方では一帯一路戦略にもとづいてアジア、中東、アフリカに新植民地主義的経済進出を進めながら、国内の労働者階級農民の闘いを恐がっているのがわかります。習近平は反対運動を封じ込めるために強権的な支配体制をうち固めるほかなす術がないともいえるのです。
つづく

次回は<夢を持てない若者たち>

[752]農民工 故郷に帰る その2

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農民工の苦労
 
 NHKの番組では2007年の中国の農民が取材をうけているところが映されています。中国は1994年に〈社会主義市場経済〉を鄧小平が宣言して資本主義化が進み、世界の工場として急成長を遂げていました。しかし農村は貧しさに喘いでいました。
 31歳だった張は、一人息子・新雨(しんう)のことで、頭を悩ませていた。新雨は機械に腕を挟まれ、複雑骨折。村には治療費を稼げるような仕事はなく、新雨の世話は両親に頼み、妻と2人、故郷を後にした。このとき張が向かったのは、沿海部の大都市・天津。超高層マンションがそびえ立つ都会の繁栄がまぶしく映ったという。
 天津は2008年の北京オリンピックを前にした開発ラッシュの中で各地から集まった農民工200万人が仕事を奪い合っていました。仕事が見つからず夫婦は日々、焦りを募らせ喧嘩が絶えませんでした。

妻「もっと頑張って仕事を探してよ」

張「探してるよ。探していないと言うのか」

張「働いてないってブツブツ言うなよ。探しているけど、人余りなんだよ」

妻「働いてくれれば文句は言わない」

張「うるさい!またこれだ」

妻「出稼ぎに来ないとお金がない。出稼ぎに来ればケンカばかり・・・」

 それから14年間、張はいいときでも月10万円ほどの給料で、家族のために過酷な労働を続けました。張は「石炭運び、汽車の荷おろし、道路工事、土木工事、何でもやりました。出稼ぎはもうしたくありません」といいます。

故郷に帰った農民工
 
 故郷へ戻った張は、貯めていた150万円で新しい家を建てました。ケンカが絶えなかった妻とは別れ、再婚した妻との間に次男が生まれました。両親にはシャワーをプレゼント。父親の長祥(ちょうしょう)は80年近い人生で初めてシャワーを浴びたそうです。
 長男の新雨(しんう)には、腕の治療を受けさせられ、その後、何とか都市部の大学にも進学させることができました。

 張は「俺みたいにならないよう、立派になってほしい。息子には安定した仕事に就いて、ゆとりある生活を送ってほしい。それが何よりの願いです」と言います。

 張の長男・新雨が大学生活を送るフフホトは、人口350万、内モンゴル自治区の中心都市として成長著しい。
 新雨は「農村にはこんな光景はありません。飲食店もたくさんあります。都会はいいところだと思います」と語っています。大学の専攻は、建築のコスト管理。アルバイトをする余裕もなく勉強に励む。都会の建設会社に就職したいと考えているそうです。。
 2007年、当時7歳の新雨は授業で将来の夢を語っていました。
「僕の夢は大学を出て、たくさん稼いでパパとママに苦労させないことです。車を買って、出稼ぎ先に行って、旧正月を両親と過ごしたいです。」
 今の新雨の夢は、大都会で暮らし、父親には手が届かなかった高層マンションを建設する側になることです。

貧困と過疎、“インターナショナル”を歌う老人
 
 一方、帰郷した張が直面したのは、14年前よりも、さらに過疎化が進む故郷の現実でした。かつて80世帯いた住民は半減し残っているのは高齢者ばかりで、どの家も働き手の不足に困っていました。かつていた、たった一人の医者も、村から出て行きました。

 いまも村の高齢者の拠り所になっているのは、建国の父・毛沢東なのだといいます。貧しい農民を解放してくれたリーダーだと信じているのです。インタビューをうけた共産党員の老男性は「毛主席が武装兵力によって政権を奪取した。軍事戦略は諸葛孔明よりすごい」と熱く語りました。資本主義化した中国に反発しているのかもしれません。あのインターナショナルを歌いました。

♪インターナショナル、必ず実現できる。これは最後の戦いだ。明日に向かって団結せよ♪

 NHKは「インターナショナル」を共産主義革命を志した世界の若者が、かつて熱唱した歌だと紹介していますが、いまもこの歌は歌いつがれています。
 農村に生きる人々の多くが、資本主義国家中国のなかで今も、革命の理想を信じているのです。
つづく

[751]中国農民工 故郷に帰る その1

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 2022年の世界は米中〈冷戦〉のなかで中国を軸として揺れ動くだろう。台湾海峡の政治的軍事的緊迫、一帯一路の拡大と軋轢、中国国内の格差拡大、労働者階級の鬱積する不満と圧政に対する反発。中国のリアルな現実を見ていきます。
 12月11日のNHKスペシャル農民工 故郷に帰る 〜埋まらぬ都市と農村の格差〜」を見ました。
 世界第2位の経済大国になった中国の農民はディストピア(暗黒卿)のなかにいます。番組はその現実をリアルに伝えています。映像を見た私の記憶と番組の解説に沿って、かつての「社会主義国」中国の農民の〝今〟と資本主義化し経済成長する過程で強いられた農民の困窮と苦悩の現実を見ていきます。
 中国の経済成長は1億5千万人の農民工によって下支えされました。
 その農民工たちが、いま、故郷に戻り、農業などに取り組み始めています。共産党政府は農民工に農村活性化の役割を担うよう呼びかけています。習近平が「今こそ農村の振興に皆さんの力が必要です」と辻説法のパフォーマンスをしている画像がアップされていました。
 
 故郷に帰る農民工たち
 衰退に歯止めがかからない農村
 
 埋まらない格差は、中国共産党にとって最大の課題のひとつです。貧しさから抜け出すため、都会へ出稼ぎに出た農民が故郷に帰って直面しているのは、荒廃しきった農村の厳しい現実。
 貧しい農村の解放を謳い、革命を成し遂げた中国共産党は1978年の鄧小平による改革開放政策の導入を結節点として資本主義への逆走を開始しました。
 2021年7月、共産党創立100年の祝賀式典で党の成果として習近平国家主席が最初に挙げたのは、貧困問題の解消でした。小康社会の「達成」を謳いました。

 習近平は言いました。「歴史的な絶対的貧困問題を解決し、いま意気軒昂として近代的社会主義強国の全面完成という第2の100年の奮闘目標に向けてまい進している」
 食べるものにも困る絶対的貧困の人口は、ゼロになったとされている。しかし、毎月の収入が1万8000円に満たない人口は、いまだ6億人。その多くが農村の人々です。
 そこで共産党が打ち出したのが「郷村振興(ごうそんしんこう)」というスローガンです。202021年2月郷村振興局を設立し農村の発展のために、農業や商売を始める人々に対して補助金を出したり、無利子の融資を行ったりして、農業の資本主義化を促進しているのです。
 NHKの取材班は現代中国の一農村の現状を伝えています。

内モンゴル紅石砬村(こうせきらそん)

 内陸部、内モンゴル自治区では、発展から取り残された村を多く抱えています。東部に位置する紅石砬村(こうせきらそん)では、30世帯が農業で暮らしています。
 この村で畜産業を営む張建平(ちょう・けんぺい)さん45歳は長年、農民工として出稼ぎを続けてきましたが、2年前、村に戻りました。
 育てているのは20頭の牛。肉牛の需要が高まるなか、大きく育てて売れば、故郷の新たな産業になると考えました。元手にしたのは、出稼ぎで貯めた金や、政府による無利子の融資あわせて350万円。村人1人も手伝いとして雇いました。張のように農村に移り、農業や商売を始めた人は、中国全土で去年1000万人に上るとされています。
 この日、張が訪れたのは、耕作放棄地になっていた畑。この土地を借りて、牛のエサとなる牧草を育てたいと、高齢で働けなくなった村人に持ちかけました。これまで小規模農家が多く、利益が上がりにくい構造だった中国の農業。張は少しずつ牧場の規模を大きくしたいと考えていました。
 中国農業は1978年の改革解放以後、人民公社方式による集団農業から生産請負制に転換し、農家が経営主体として復活しました。

張さんは言います。「畑は広ければ広いほどいいです。牧草を買わなくて済みます。牧場の規模を大きくして、村に雇用を生み出したい。」

 張さんは3ヘクタールの農地を年間5万円ほどで借りることにしました。

張「今は規模が小さくて牛の数が少ない。牛の数をもっと増やし、規模を拡大しようと考えている。」

 この村で生まれ育った張。14年前の冬、都会に出稼ぎに出なければならない事情を抱えていたのです。

つづく