[753]農民工 故郷に帰る その3

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資本主義化の犠牲をうける農民

 1949年の中国革命後、毛沢東が主導した共産党は「土地改革」によって地主の土地や財産を貧しい農民に分け与え、農村での支持を確固たるものとしました。
 しかし、朝鮮戦争アメリカの力を感じた中国は、急速な国力増強の必要性を感じ工業重視へと一気に舵を切ることになります。当時のソ連邦を参考に「計画経済」を導入し農地も個人所有から集団所有へと改め、農村から吸い上げた資金を、工業を担う大都市へ集中投下したのです。
 30年にわたって、中国の農村を研究する同志社大学・厳善平(げん・ぜんへい)教授は言います。
 植民地からの「搾取」によって、工業化を進めた列強諸国と異なり、中国では農村が成長の土台にされたと指摘します。
 「農業から工業へ、農村から都市へ、いかに資本を調達するか。そういったなかで、農民たちは国家工業化のために働いて、農産物を拠出し、一方で自分たちが非常に低い生活を余儀なくされる」
(ブログ管理人註:資本を調達するではなく資金を調達するとすべきでしょう。当時の中国は資本主義とはいえません。中国型「社会主義」です。)

 毛沢東人民公社方式による農業集団化は失敗し農民は貧窮しました。毛沢東は資本主義的な政策を主張する党内右派の鄧小平らに「走資派」と烙印を押し文化大革命のなかで権力闘争を展開しました。しかし毛沢東は敗北・失脚し1976年に没しました。
 1978年、改革開放路線への転換後、鄧小平は生産請負制を導入し、農家が経営主体となりました、しかし若い農民は市場経済の導入で、急速な発展を遂げた沿海部の都市資本家によって雇用され出稼ぎ農民工となりました。彼らは、安い労働力として使われました。
 その間、農村は人手の流出が止まらず荒廃。共産党は2000年代から、農業税の廃止など農家の負担軽減に乗り出しますが、抜本的な解決には至っていません。
 
農民工の怒り

 そしていま、共産党にとって、都市に残る農民工への対応も悩みのタネとなっています。
 北京の近郊では、行政が火災対策を進めるとして、農民工に立ち退きを命令しましたがそれに反対する抗議デモが起きました。恒大集団の破綻に象徴されるように、開発ラッシュが下火になるなか、コロナパンデミックのなかで解雇され居場所を失った農民工の怒りが、共産党政府にたいして爆発する可能性が高まっているのです。
 厳善平教授は「都市の中の格差も大きいし、そういう階層社会があって、その階層間の固定化も最近問題視されている。都市・農村間格差、そして階層間格差、その文脈で都市・農村格差を縮めていく必要が、やはりあるんだというふうに思われます」
 今の中国を現象論的に特徴づければそういえないことはありません。しかし中国は資本主義社会です。資本家階級と労働者階級との非和解的対立が社会の根底を貫いているのです。

進まぬ「郷村振興」

 共産党は2021年に郷村振興局を設立し農業の行き詰まりの打開しようとしています。しかしうまくはいっていません。

 出稼ぎから戻ってきた張建平も、問題に直面しています。牛のエサとして育てていたトウモロコシが、洪水で壊滅し村人から牧草を分けてもらっているが足りない。子牛が育つまで収入はほとんどない、と覚悟していたものの、エサや農場の整備に想定以上に金がかかり、借金が500万円にまで膨らんでいました。
 ある日、手伝いの男性が給料の支払いを求めてきました。妻がガンになり、治療のために金が必要だという。しかし、張のもとには、長男の新雨から学費を催促するメールが届いていた。給料を用意できず、手伝いの男性は仕事をやめてしまいました。

張「当然焦っていますが、時間をかけて稼ぐしかありません。困難はありますが、一歩ずつ進んでいきます」

 焦る張建平に78歳の父・長祥が声をかけた。長祥は、小作人として黙々と働く父の背中を見て育ち、大飢饉など中国の苦難の歴史を経験してきた。

長祥「お前の祖父の代からもう百年になる。当時はずっと地主の家で肉体労働をしてきた。あの頃は貧乏で何もなかったが、今は昔と比べれば、だいぶマシになったものだ」

張さんの親戚も貧窮

 ある晩、張建平の家を親戚が訪ねてきました。張延軍(ちょう・えんぐん)46歳。彼も3年前に出稼ぎから戻り、農業を始めました。言いづらそうに話を切り出しました。延軍「ジャガイモを収穫するために金がかかる。50万円ほど貸してもらえませんか?助けてください。近所の人からも借り尽くして、もう借りるあてがない」収穫の時期が迫っているが、手伝いを雇う金もないと言う。

 しかし張は「俺も金がない。牛のために金がいる。ネット金融で借金もしている。見てみろ。2日前に3万5000円、この日は4万円・・・」と答えるほかありませんでした。
 2人とも、それ以上、言葉が出ませんでした。

 30年にわたって出稼ぎ生活をしていた張延軍。共産党が打ち出す郷村振興の理想に共鳴して、妻と共にUターンを決意したのだと言います。70ヘクタールの土地を借りて、穀物やジャガイモなどを育てています。長年の出稼ぎで、農業の経験を積めなかった2人には見通しの甘さが次々と露呈していた。

延軍「このジャガイモは廃棄する」

妻・美玲「どうして」

延軍「緑色になっている」

美玲「緑色になると食べられないの?」

延軍「食べられない。市場で緑色のジャガイモを見たら買わないだろ」

 この夏の大雨で土が流され、日にあたったジャガイモが変色していた。健康食ブームをあてにして植えたアワの畑でも、問題が起きていた。除草剤がきかず、アワの畑に売り物にならないキビや雑草が大量に茂っていた。長年、出稼ぎに依存してきた農村は農業の担い手が育たない深刻な問題が生まれていました。

 美玲は言います。「私たちは畑仕事を全く分からなかったし、教えてくれる人もいませんでした。たしかに国の政策はいいです。しかし、私たちは理想を美化し過ぎました。現実が追いついていません。」彼女は国の政策はいい、と言いますが、農業の技術を教育されることもなく農村に戻れといわれてもうまく行くわけがないと反発しています。
 さらに夫婦には大きな誤算がありました。大規模農家に対して国から数百万円の補助金が出ると聞き、それをあてに、親戚や友人から金を借りました。しかし、補助金の窓口である地方政府からは、畑が隣村にまたがっているという理由で支払いを拒否されたのです。

延軍「先日、村の上層部に全部説明して、『国の政策に基づいて支払ってくれ』とお願いしたが、ダメだと言われた」

美玲「たばこをやめて、いらいらする。たばこにも金がかかるでしょ。まったく・・・」

延軍「俺を追いつめても金は出てこない」

美玲「それなら借金をしてきて」

延軍「借りられるところはもうない。どこで借りろって言うんだ?銀行やネットでも借りた。近所の人や親戚にも借りた」

美玲「じゃあどうするの?」

延軍「俺も方法を考えている」

美玲「今の言葉を聞いて、考えているとは思えない」

延軍「俺にはもう打つ手がない」

 延軍はインターネット上にあふれる農家の苦境を聞き、自分を慰めているのだそうです。たとえばネットの動画で「ここはわが村の貧困対策のために作られた養鶏場です。しかし、今は休業状態です。コネ・人脈を持っている人以外は、補助金をもらうことは至難の業です。なぜならこの社会は『コネ社会』だからです」という投稿もあり、中国の官僚専制支配体制のなかに発酵した腐敗が地方政治にもはびこっているのです。

延軍「まったく同感です。Uターン農業はみんな大変なようです。課題山積ですね。あちこちでうまくいっていない」

 そして村の行政にも、Uターン農家を支えきれない事情があった。
 この日、この地域の共産党支部の責任者である、書記が張建平のもとにやってきました。書記はこれまで、Uターンした農民工を支援するため、無利子の融資の紹介など、できることはやってきました。しかし、国からの補助金は他の地域との奪い合い。小さな村の書記には、補助金を多くの村人に行き渡らせる力はないと言う。

村の共産党書記「支援ができないのに役所に来られても何もできません。自分の力でやってもらうしかありません」と言う。
 
 Uターンした農民工は八方塞がりになっています。私は中国のこういう現実を知って、習近平が一方では一帯一路戦略にもとづいてアジア、中東、アフリカに新植民地主義的経済進出を進めながら、国内の労働者階級農民の闘いを恐がっているのがわかります。習近平は反対運動を封じ込めるために強権的な支配体制をうち固めるほかなす術がないともいえるのです。
つづく

次回は<夢を持てない若者たち>