[46]探検家の自省

6月12日の朝日新聞15面の「新型コロナ 世界一安全な地から」を読んだ。作家・探検家の角幡唯介さんの寄稿です。
角幡さんは3月半ばから北極圏の犬ぞりの冒険旅行に挑戦しました。人間界を離れた54日間は世界でたった一人の体験でした。グリーンランドからカナダに向かう予定が、カナダから入国拒否の知らせがあってはじめてコロナ危機下の世界の中にいる自分を自覚したのでした。
奥さんから衛星電話で「世界が今こんな状態にあるときに、一人、探検などする意味を考えてほしい。物書きならそれを表現してほしい」といわれ彼は考えました。この一変した世界と逆の方向を向いていると奥さんに云われている、「だとするなら、表現者として、その逆向きの行為とコロナ以後の人々の心を結節させる言葉を見つけなければならないのではないか?」と考えたという。
なるほど、おもしろい。
旅を終えグリーンランドの村に帰って電話で日本の現状を聞いたときには、大きな衝撃を受けたそうです。
「マスクをしなければ街中を歩けないとか、不要不急の用で公共交通機関に乗ると批判されるとか・・・自粛警察だの他県ナンバー狩りだの・・・私はおののいた。おのずと想像されたのは『感染すること/させること』が絶対悪とみなされ、それを破った者には容赦なきバッシングを浴びせ、排除する、恐るべきディストピア社会である。」
いやそう感じるのは角幡さんだけではない、この世界の中にいて小生も同感。
「たった2ヶ月で世界がここまで一変し、そこから自分だけが取りのこされている現状に言いしれない憂鬱を覚えた。」角幡さんにとっっての憂鬱は一気に激変した世界を受けいれなければならない、ことだといいます。
そうすることが苦痛なのかもしれません。
角幡さんは、コロナ危機以前には隠されていた疎外された意識と行為がむき出しになってしまった絶望的社会をうけいれ、その中に自分も馴れ溶け込んでしまうことの怖さをかみしめているような感じがします。よくわかります。
表現者としての自分とコロナ以後の人々の心を結節させる言葉を見つけるのはこれからのようですね。