[589]天皇と日本人

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 菅政権は感染症が勢いづくなかでオリンピックを強行しました。もうあとには引けなかったかつての戦争のように。天皇は五輪を「祝い」ではなく「記念し」と表現しました。「何でも言える」仮象をかもす日本を象徴しています。
 東京五輪開催に先だって、天皇新型コロナウイルス感染症の広がりを懸念しているという、宮内庁長官の「拝察」が明らかにされました。
 私はこのニュースを聞いたときには、天皇もさすがに五輪開催には抵抗感があるんだと感じたにすぎませんでした。
 ところがその後、「拝察」された天皇の「気持ち」が大きなハレーションをひきおこし、「五輪を開催するのはやめてほしいと天皇が言ってくれないかなあ」という人が少なからずいたことを聞き考えてしまいました。
 天皇に頼るほかないほどに日本の反対運動は低迷しているということです。また、天皇の政治的発言云々が取り沙汰されていますが、日本人の意識は戦争中のそれと変わってないんだなあと思いました。
 矢印の対象は昔は戦争の相手、いま五輪開催による感染症の拡大、と違いますが、天皇発言の威力にすがるという構造は同じです。憲法に抵触することにつながることではありますが、この問題は憲法問題ではなく、天皇発言に期待する日本人の主体性の欠除という問題が浮かんだということではないでしょうか。天皇も日本人の精神性をよくわかって行動するのでしょう。
 私たち日本人の「お腹のなかの天皇制」は積み重ねられた歴史の重みがあるので、一朝一夕に変えるのは難しいのですが・・・。
 いわゆる「多様」な意見を言える現代日本は、あらゆる意見を吸収し時代に許容された言葉を紡ぎながら、総体として戦争のできる国に向かって進んでいるのではないでしょうか。
 そういえば開会式で「日の丸」をアスリートから自衛隊が受けとり掲揚していました。