[1118](寄稿)医療あれこれ その72ー1

ペンギンドクターより
その1
 
皆様
 本日も二階から富士山が見えます。寒いですね。
 コロナも中国での発生からまる3年になります。このお正月はコロナ規制がとれて帰省ラッシュも復活しました。医療従事者でなければ、あちこち出かけてもいいのですが、私は相変らず巣ごもり生活です。今年は検診の仕事において、二回臨時診察を頼まれました。月曜日のパート医自身が感染したのでその代理、金曜日の女性医師のお子さんが保育園で感染し濃厚接触者になったとかでその代理、弱毒とはいえ、医療従事者としては、休まざるを得ませんから、「君子危うきに近寄らず」です。
 3年近く毎日同じパターンの生活ですが、慣れましたので、かえって変化があると臆病になります。明日と明後日は下の娘夫婦が我が家にやってきます。彼女たちとは那須の家で10月末に庭掃除の実際を見せるために宿泊し、夕食は日本酒で一杯やりました。男同士で酒を飲むのはいいものだと再認識しました。できれば彼女夫婦に那須の家を引き継いでもらいたいと思っています。上の娘夫婦は車の免許を持っていないので、東京での生活はともかく、田舎の生活には車は必需品であり、無理だと思います。トラブルにならないように私の生存中に然るべき手を打つつもりです。
 
 転送するのは、新型コロナ感染(COVID‐19)に伴う後遺症についての文章です。いわゆるlongCOVIDですが、ひとつの学説と考えていいのだろうと思います。膨大な数の感染者がいるわけですから、様々な疾患が背景にあり、関連はあるともないとも言えないのではないかと今の私は考えます。時の経過とともに少しずつ真偽は明らかになっていくだろうと今は様子観察です。
 
 さて今日は、私の今年経験したことについての雑感を述べます。
 今年も私の身のまわりの人びとが旅立ちました。特に女房の兄二人(嚥下性肺炎と急性心不全)が間を置かずに亡くなったのはびっくりしました。ともに持病を抱えていましたから当然と言えば当然ではあります。82歳と77歳でした。本来なら年賀状も出さないところですが、女房曰く「私はもちろん喪中だけれど、あなたは友人・知人の消息が知りたいだろうから出したら」というので、恒例の短歌(狂歌?)を3首印刷して出しました。
●公園はカモとオオバン水鳥天下 人影はなく静かな散歩
●やけどして頼りになるのはママの指示 どちらが医者かわからぬ我が家
●お正月 昨日と変わりはないけれど まずは良かった元気な我等
 拙い料理のおかげで二度目のやけどをしました。一日一日があっという間に流れるので、週2回のメインディッシュには次は何にするかと結構悩みます。週1回の昼食はもっぱら人参の粉チーズ炒めと「蕎麦」です。蕎麦は信州か北海道か出雲か越後です。スーパーで乾麺を買ってきて作ります。塩分が少ないのを選びます。下手な蕎麦屋より自宅でのそばが美味いと思っています。
 明日の大みそかは、私が作った電子レンジによる「キンピラ」「小松菜の煮びたし」「人参の粉チーズ和え」を娘たちに出して日本酒のつまみの一部とする予定です。白い横長の皿に三種のっけて出します。見栄えも大切ですから。
 
 さらに従兄が二人亡くなりました。一人は難病の特発性肺線維症(IPF)です。この疾患については何度かお話しました。82歳でした。もう一人は祖母違いの従兄です。「心房細動」からの脳塞栓で長い間「植物人間」だったのが、最近亡くなりました。この従兄の奥さんは「クモ膜下出血」で手術後順調でしたが、脳動脈攣縮予防に持続的に昇圧剤を投与するための中心静脈カテーテル感染からきた敗血症で10年以上前に亡くなっています。防げた死因でしたから残念でした。従兄の「心房細動」も今なら「カテーテルアブレーション」で根治を目指すところでしょうが、抗凝固剤の投与が継続していた時代なら踏み切るチャンスが無かったのかもしれません。確か享年80歳代初めと思います。
 私は医者なのと、顔の広かった母のせいもあり、個人的な立ち入ったこともいろいろ聞いていて、私自身も含めてそういう年齢になったのだと感慨を覚えます。平均寿命も延びて男性は82歳代、女性は88歳代に突入ですが、健康寿命は男性72歳代、女性75歳代ですから、死に至る疾患は身近なものといえる我々です。
 それはそれとして「人生100年時代」と、それなりに評価できる作品を出してきた人びとが、功利的な出版社その他に躍らせられて、したり顔に文章を発表しているのを広告欄で見ると、寂しくなります。
 まあ、かくいう私も駄文を綴っては皆様に送信しているのですから、他人のことをとやかく言える状況ではないのですが。
つづく