[1221]首相が選挙演説中の事件

 岸田首相の和歌山市の選挙演説会場に爆発物が投げ込まれました。逮捕された木村氏(24)は取り調べに黙秘していると報道されています。なぜ何のために行動したのか今のところ不明です。

 一青年がこの事件を起こしたことに与野党は一斉に非難の声をあげています。

 岸田首相は「民主主義の根幹をなす選挙で暴力的なことが行われたことは絶対に許すことはできない」と強く非難しました。

 立憲民主党の泉代表は「ひるまずに堂々と民主主義のために訴えを続ける」と言い、野田元首相は「与党とか野党、選挙とか関係なく卑劣なことは絶対に許してはいけない」と訴えました。

 維新の会馬場代表も「民主主義に対する挑戦であり怒りを覚える」言っています。

 そして共産党の志井委員長は「暴力行為を強く非難する。首相が無事でよかった」とツイッターに投稿しました。

 公明党の山口代表は「政治家や候補者が有権者に訴える民主主義の最も基本的な働きを妨害するもので断じて許されない」と訴えました。

 国民民主党の玉木代表は「短期間に要人が2度も襲われ未然に防ぐことができなかった。警備のあり方の見直しが必要だ」と言いました。

 どの党も民主主義への挑戦であり許されないということを述べています。

 現時点では木村氏の行為の目的はわかりませんが、逮捕され社会的非難を受けることを覚悟した上での行動でしょう。彼に賛同して共にたたかう人は出てこないでしょう。もとより彼はそれに期待しているわけではないでしょう。

 私は安倍元首相銃撃事件と似ていると思います。理由があっての行為であるからには、その理由となったものを考えることが政治家のなすべきことです。

 岸田首相に強い批判をもっていたのだと思います。だとすれば、野党、労働運動の指導者は木村青年の行為を非難する前に、破壊的行動を孤立した個人のひとつの社会的意見表明として考えるべきです。

 民主主義の破壊だという叫びは不都合なことを見たくない時代の怯えの声だと思います。行為されたことは民主主義的統治形態への敵対だというのは自明です。わざわざ抗議声明を出すのは政治家として身の証を立てるということでしかありません。民主主義の土俵で大勢に紛れて非難するのではなく、この時代に生きているひとりの社会びとが法の枠を超えて岸田首相個人に直接的に訴えていることをまずは聞くべきです。

 こう言うと暴力を認めるつもりかという声が上がるでしょう。その声は事件への非難の足並みを揃えよということでしょう。

しかし、このレトリックは思考停止を強いるものです。

 ニュースで流された、同級生の話によればあの青年は暴力的性向の持主ではなかったと推察されます。そういう人がなぜ暴力を使ってまで首相に向かったのか、同じ時代に生きる者として考えるべきです。