[1397]「中道」について

ブレイディみかこさんが「中道」流行りのイギリスから、10月16日号の「eyes」で次のように言います

 

「緊縮財政、戦争、EU離脱。対立と論争に火をつける事象だらけの時代に、英国では『中道』をめぐるバトルが激化している。

『中道(センター・グラウンド)』という言葉が、政治の舞台のど真ん中(まさに『センター・ステージ』)に躍り出ているのだ。テレビをつければ、著名人たちが、中道が求められる理由を語り合っている。ネットでは、『中道おやじ(セントリスト・ダッド)』を名乗る元政治家たちのポッドキャストが人気を博している。労働党のスターマー党首は中道への回帰を宣言しているし、それを裏付けるように、『右でもない左でもない第三の道』を提唱して90年代に旋風を巻き起こしたブレア元首相と接近している。誰もが『中道』を名乗りたがる。センター・グラウンドは大混雑の様相だ。」

 

 私はここまで読んで、日本でも似たようなことが起きていると思いました。国民民主党は「改革中道」を標榜して「対立より解決」と耳ざわりのいい言葉を選んで党への支持を取りつけようとしています。昨年の12月16日、国民民主党の安保調査会•前原会長は「今回の政府防衛3文書には反撃能力(敵基地攻撃能力)の保有ミサイル防衛の強化、防衛費増額などが明記されており、国民民主党が提案した考え方が概ね反映されたものと受け止め、公党としての一定の役割を果たせたものと考えます。」と談話を発表しています。

 立憲民主党の野田・元首相はその後今年の2月、立憲民主党が幅広い支持を得られる「中道の国民政党」を目指すためには日本維新の会と国民民主党との連携が重要だと強調していました。反対野党が支持を失い混迷の時代になれば「中道」という言葉にすがるのはお決まりのコースです。

 「中道」という言葉についてブレイディさんは、「確かにそれはバランスの良さと知性を感じさせる。ここ数年、唾をとばして喧嘩してきた人たちを諫める賢明な大人というイメージ。」と 「評価」しつつ「具体的には、今『中道』であるとは何を意味するのか。」と問い、イギリスの中道の意味を探っています。

「例えば、人気『セントリスト・ダッド』の一人で元保守党閣僚のローリー・スチュワートは、保守党の緊縮財政政策を反省する発言をした。一方で、『中道』を目指すスターマー党首は、緊縮には反対だが財政規律は必要と言う。また、スターマー党首は、『極左』と呼ばれたコービン前党首が次の総選挙で労働党から出馬できないようにしたが、スチュワートはこのやり方を批判する。外交にしろ、スチュワートはイラク戦争を大失敗だったと非難するが、『第三の道』のブレア元首相は今でも『正しいことだった』と主張」していると紹介しています。そして次のように警告しています。

 「このように「中道」の人々の主張はバラバラである。『中道』の政策が何であるのかはっきりしないのなら、言った者勝ちではなかろうか。『中道』が戦争をしたり、公共事業民営化のような大胆な政策を行うこともある。こっそり過激なことをする『中道』、民の声を聞かない独裁的な『中道』だってあり得る。『中道』の言葉が持つイメージは、取扱注意シールが必要な案件だ。名乗る人が増える時は特にそうである。」

 

 いま、世界の支配階級は混迷し、反対運動を骨抜き化しつつ八方塞がりの状況を戦争で乗り切っていこうとする時代になっています。

 ウクライナ戦争はそもそも現代資本主義がいき詰まる中で、東西資本主義国家権力者の白熱する抗争がロシアの越境侵攻を起点としてかの地で爆発したという意味を持っていると思います。

 国内経済の危機を乗り切るための方途をめぐって試行錯誤しているという意味ではイギリスも日本も同じです。日本の「中道」志向政党は敵基地攻撃能力の保持は必要だと言い、日本の軍事大国化を下支えしています。

 この時代に語られる「中道」という言葉は挙国一致、大政翼賛のいいかえだと私は思います。