[1038](寄稿)医療あれこれ その69

ペンギンドクターより

その1


皆様
 なかなかスッキリとした秋晴れになりません。いかがお暮しでしょうか。
 前回送信した文章の中で訂正があります。私のアルコール摂取の曜日ですが、(水)(木)ではなく、(水)(土)です。私のメインディッシュの作成日である土・日に合わせて焼酎をチビチビやっているわけです。自分の作った料理はいつもレシピ通りですから、まずまずの味です。ただし、最近は自分なりに調味料などを加減しています。料理をするようになって、たった週2回なのに、次は何にしようかと結構悩んでいます。何しろ一日一日があっという間に過ぎていくものですから。
 
 さてコロナですが、下火になったとはいえ、当県も再び1000人を超えました。重症化はしないと信じていますが、やはり感染したくはありません。そういう状況の中で、11月6日(日)大学医学部のクラス会の案内が昨日届きました。幹事は悩んだけれども、予定通り開催するとのことでした。私としてはすでに決めていたように、先ほど「欠席」の返事を出しました。幹事も難しい判断だったと書いてあり苦渋の決断だったろうと同情します。葉書には恒例の近況報告の欄があり、私はいつものように現在の仕事など生活状況を書いて送りました。2020年2月以来の開催ですから、3年近くの空白です。結構いろいろな変化があろうかと思います。しかし一方で、この時期に東京の料理屋に出かけていくのも少々億劫であり、本音は不参加をあまり残念という気持ちにならないので、幹事の苦労にいささか後ろめたさも感じつつ葉書を投函しました。

 それはそれとして、我が女房は本日親友たちとの温泉旅行に新潟県へ出かけていきました。いつもの6人ほどの集いですが、今回は特別な会でもあります。主要メンバーであるEさんとの最後の旅だからです。Eさんは、一年半ほど前に発症した「膵がん」の治療中です。ご存知のように「膵がん」は最も予後の悪いがんです。しかも彼女の場合、腹膜転移で見つかった膵がんなので、一般的には半年から一年以内の余命しかありません。それが、新薬の化学療法で一時は腫瘍マーカーも正常化しました。今再びその値が上昇してきているので、動けるうちにとみんなで企画したものです。こういう場合は、多少無理しても参加は当然だと思います。私も行ったことのある上越線沿いの彼女たちの馴染みの温泉宿です。宿泊には一応ワクチン接種証明書が必要らしく、この3年の間に難病の「視神経脊髄炎」になった同級生はワクチン接種をしていないので宿泊できず、新潟から湯沢まで出てきて、一緒に湯沢のエキナカのレストランで昼食をとって久し振りのお喋りをするようです。彼女たちは72歳から73歳ですが、やはりいろいろ病気が出てくる年齢だなと思います。
 Eさんの経歴を紹介しておきましょう。彼女は看護師なので、日本の医療と多少関係があります。
 彼女の父親は新潟大学の教授だったと聞いています。高校卒業後、東大病院の附属看護学校に入学し東大病院の看護師になりました。私が西ドイツに「留学」の時は、女房と彼女とで箱崎にまで見送りに来てくれました。
 一般に病院というのは厚労省の管轄です。しかし大学附属病院は大学を管轄するのが文部省(文科省)ですので、当然文部省と関連が深くなります。Eさんは優秀だったのでしょう。文部省から大学病院の現場を熟知するナースということで、文部省の大学病院課(?)にスカウトされました。条件があったようで、①独身であること②お酒が飲めること③午前様になってもタクシーで帰宅できる都区内に住んでいること、などが言われていました。その役人生活の後、山口大学病院の看護部長、東大病院の看護部長、さらには癌研有明病院の看護部長を務め、その後看護協会の政治担当(?)役員になりました。
 
 経歴はなかなかのものですが、スッキリとしたセンスのいい女性です。昔我が家にその仲間6人が集ったときには、私と娘二人は駅前のホテルに避難して宿泊し、下の娘が「おねしょ」して慌てたという記憶もあります。
 といったわけで、こういう場合はコロナ状況下でも無理して温泉宿に集うことは当然許されることだと思います。Eさん自身は一年以上の延命、つまり73歳になるまで生きたいと言っていたようですから、まずは新薬の効果はあったと言えるでしょう。しかも、治療中もこのコロナ禍で新潟と東京をしょっちゅう往復し、さらには山口大学での友人たちに会いに山口にも出かけたり、元気に動き回っていたようで、限られた時間を有意義に過ごしているように見えると、女房は言っています。

 閑話休題、病院というのは事務局が土台(要するに土地?)、看護局が建物、医務局は医師という営業部員の集まりであって、病院が組織であるとしたら、最も大事な部門は看護局です。ここは幸いピラミッド社会であり、統制が取れています。何かプロジェクトをするとすれば、看護局なしには動きません。もっとわかりやすく言えば、医師はより多くの患者さんの信頼を集めればいいのであって、組織だっていなくてもいい、大体医師はまとまりがなくて、わがままです。つまり医療体制を動かすのは看護局です。コロナ禍で医療がひっ迫するといっても、要するに看護体制のひっ迫です。一般に事務の出る幕はほとんどないのですが、このコロナ禍で補助金をいかにたくさん分捕ってくるかという点では、JCHOや旧国立病院機能機構の事務局は大活躍したことは確かです。医療の本質とは程遠いけれども。・・・・・・このへんでこの話はおしまいにします。

つづく