[1172]「人権も安保も『雰囲気』な首相」

 朝日新聞高橋純論説委員の多事奏論はテンポがいいです。

 奏論のはじめに炭坑の上のくぼみに水が貯まってできたカンラクと呼ばれる池の話が出てきます。このカンラクの話を書いた「わたしのふろ」(森崎和江作)を読んで高橋さんはある光景がイメージに浮かんだそうです。筑豊の炭鉱町に転居した森崎は次のように書いています。

 「何しろ地下には四方八方に坑道が走っていて、中はすっぽんぽんだからである。見廻すと田も畑も沈下して、そこここにひろびろとした池ができていた。人びとはカンラクと呼び、子供たちが鮒釣りをしていた」

 転居したばかりの森崎はどこもかしこも柱が傾き屋根が波打っていることに驚いたが、近所の人は「地面の底が空洞じゃけん、しょんなか(仕方がない)」といったそうです。

 これを読んで高橋さんは、すっぽんぽんのにっぽん、カンラクに釣り糸を垂れる岸田文雄首相ら政治家の背中をイメージしたと言います。

 なぜか。2月1日の衆院予算委員会同性婚の法制化について首相は「家族観や価値観、社会が変わってしまう課題だからこそ、社会全体の雰囲気にしっかり思いを巡らせた上で判断することが大事だ」と述べました。高橋さんはこの「雰囲気」という言葉に引っかかったと言います。その2日前にも「社会の雰囲気を変えていくことは大事」「家族か社会か、二者択一の考え方は取らないが、従来(育児に)関与が薄い方々にもこのことを感じてもらう、こうした雰囲気を日本としてつくっていくことが重要だ」と答弁しているそうです。

 高橋さんはよく聞いています。そしてこう言います。「一国の最高権力者が重要政策をめぐる答弁で『世論』でも『構造』でもなく『雰囲気』を連発することへの強烈な違和。······なるほど首相にとっては人権も平和も非核も『雰囲気』なのだろうと思い至った。······フワッとした気分どまりで思想まで深まらず、政治信条にまで高まらない。だからどこまでも流され、言葉に力が宿らない。」

 確かに岸田首相は、戦後の安保•防衛政策の大転換が侵略戦争の歴史を今日的形態で繰り返すことになるということを承知の上で踏み出しているわけではない。また転換がもたらす悲惨な現実を想像してもなお進むという覚悟を持っているわけではないと思われます。攻められたら困るので長距離ミサイルを持って攻められる前に敵基地を破壊しよう、というゲーム感覚のようなものです。原発の再稼働、新増設政策にかんしても今困るから、ということ以上のことしか考えていません。紙の上に○☓を書くようにサラリサラリと軍事大国化政策を現実化しています。

 高橋さんは続けて言います。

 「体幹」が強い前々首相のもとでは議論が巻き起こったが、政治的体幹か弱い「現政権下では安全保障政策の大転換をしてこの静寂。『してやったり』と首相は悦に入っているだろうか。でもそれが、この国がどうなろうがもうどうでもいいという雰囲気が広がった結果ーー地面の底が空洞じゃけん、しょんなかーーだとしたら?」「やばいわマジで。ほんまこわいわ。」

 高橋さんが出張先の大阪のカフェで、日本の家事労働時間の長さや何歳まで働いたら終わりが見えるんやろと憂え、日本脱出の話をしていた隣の20代女性の口真似で、「やばいわマジで」「ほんまこわいわ」と書いています。

 そして終わりに言います。

 「最後にどうしても、フレンチトーストの(大阪の)彼女へ。こんなすっぽんぽんの国にしてしまってごめん。でも、社会は変えられる。必要なのは、変えられると信じること。脱出よりほんとはずっと簡単なはずです。」

 時代の危うい流れに棹さすメディアの風潮に抗して、これからも頑張っていただきたいです。