このブログ「新型コロナ危機のなかで」が1200回目になりました。このタイトルでこんなに長い間ブログを書きつづけることになるとは思ませんでした。政府は新型コロナを5月から感染症法上、季節性インフルエンザと同じ5類扱いとすると発表しました。今なお高齢者の中には感染して死に至る方もいて感染症が収束したわけではありません。政府は「経済を回す」という政治的判断基準を選択したということに過ぎません。
この3年間、全世界で「CORONA」という言葉が共通語になりました。
世界中の資本家たちは感染症によって労働力が不足し生産と流通が止まることに恐怖しました。労働者は罹患の恐れがあっても会社に出て生産活動に携わらなければなりませんでした。物をつくらないサービスを生産する労働(非生産的労働)にはテレワークを多くの企業が取り入れましたが、労働者は私的時間と仕事の時間がゴチャゴチャになり様々な弊害がうみ出されました。
コロナウイルスを絶滅することはできません。人間社会がウイルスに感染することを前提とした検査治療体制をつくるほかにいい手はないのです。罹ったと思ったときに自分の意志で費用を心配しないで検査と治療を受けられる施設を常時つくることしかいい方法はないと思います。無症状の感染は自覚症状がない以上仕方がないでしょう。他者に感染する危険性はありますが、自覚症状のある人が駆け込むところがあれば感染しても治療できるのですから確率的にいえばやがて収束します。それは感染症に対応できるの医学医療の高度化に裏打ちされなければなりません。そういうところに社会的な力を注ぐことのできる社会を構築しなければなりません。
しかしそれは資本主義的生産様式が支配的に行われる社会では本質的には極めて困難です。医療施設は利益を得なければ成立しません。病院といえども資本の論理から自由にはなれないのです。
私は新型コロナ危機のなかで、そのことを体験的に感じました。
危機はなお続いています。したがってこのブログもつづけざるをえません。
読者のみなさんよろしくお願いします。投稿寄稿歓迎です。