[1244]新型コロナ危機はつづきます

 

 8日の日経新聞「風紋」に立命館大学の学生だった頃から始めたちんどん屋歴40年の人の話が載っていました。コロナ危機で人が集まることは良くないとされ、仕事柄大変苦しい思いをしたといいます。やむを得ないことだとわかってはいても割りきれないものがあったのだと思います。

 1989年の昭和天皇の死、1995年の阪神大震災、2011年の東日本大震災でも華美な宣伝を控えなければならない「自粛」を経験したけれど、この3年の新型コロナ危機のなかでは「先の見えない苦しさ」を感じたといいます。自粛ムードがいつ終わるかわからないなかで、「にぎわいをつくるのが仕事なのに、人が密になって集まるのはダメというのがきつかった」と言います。

 1989年の1月はじめ、私は合板工場で働く仲間と仕事始めの飲み会で街に繰りだしました。たまたまその日は昭和天皇の死が報道された日でした。仲間の行きつけの酒場に行ったのですが、他に客はいませんでした。酒は売っていましたが、店内はBGMは止められており、カラオケもなし、静かでお通夜のようでした。店員の話では音を出さないように経営者から言われているとのこと。

 天皇の死を悼み静粛にすることが要請されているのか自主規制しているかわかりませんが、まさかこの小さな酒場まで歌舞音曲を「自粛」しているとは思いもしませんでした。店員は自分の意志で弔意を示していたわけではなく、他の店も客も静かにしているのでウチもそうしているという様子でした。政府の取り締まりはなくても社会の隅々まで自主的に喪に服すムードが支配していました。

 あの奇妙な静けさのなかで、確かに華美な鐘や太鼓、ラッパは鳴らしにくいというのはよくわかります。同調せざるを得ないでしょう。

 新型コロナ危機は終わりが見えません。ちんどん屋さんは長期間、陰に陽に伝わる自粛圧力に同調せざるを得なかった。

 バブルの時代には好景気で忙しかったが、不況になっていくと商店街や市場は活気を失い、最近は訪日外国人向けの呼び込みが増えたけれどコロナで状況は一変したといいます。

 このちんどん屋のリーダーは4月から京都市立芸術大で週に一回、授業を担当するのだそうです。彼は「街を歩く僕らの仕事地域全体の幸せを祈ること」という極意を伝えたいと言っているそうです。

 政府は8日から新型コロナ感染症の法的位置づけを変えましたが、なお新型コロナ危機はつづきます。

 第9波がはじまりました。政府は医療体制に関して無策です。体が弱い人、高齢者は犠牲になるでしょう。