[1245]「同調圧力」「閉鎖姓」「過度な忖度」

 「ムラ社会」をテーマにした映画やドラマが相次いでいるとは、知りませんでした。朝日新聞5月8日朝刊の文化面を興味深く読みました。

 まず、『ガンニバル』(二宮正明著)という題の動画。Renta!ホームページで次のように紹介されています。

 山間の村「供花村」に赴任してきた駐在・阿川大悟。 村の人々は大悟一家を暖かく受け入れるが、 一人の老婆が遺体で見つかり、大悟は村の異常性に 徐々に気付き、ある疑念に囚われる…。 「この村の人間は人を喰ってる」──。 次々と起きる事件、村に充満する排除の空気、 一息も尽かせぬ緊迫感で放つ、 驚愕・戦慄の“村八分”サスペンス堂々開幕!!

 

 同作の山本晃久プロデューサーは次のように言います。

ムラ社会の閉鎖姓という文脈は昔からあるが、自分たちが知りたくないことにフタをしたり、見て見ぬふりをしたりすることは、すなわち安定を手放したくないということ。今の日本でも見られる光景で、フィクションでそうした側面に光を当てることが自分たちを見つめ直すことにつながる」と語ります。

 さらに公開中の映画『ヴィレッジ』も「ムラ社会の抑圧に対する批判的な目線」でつくられているそうです。

 朝日新聞の細見卓司さんは次のようにまとめています。

「山あいの村で暮らす若者たちの閉塞感が印象的だ。かつて父が犯した罪を肩代わりするように生きている青年(横浜流星)が、とあるきっかけで光を見いだし、本来の自分の良さと自信を取り戻すが、村のしがらみに縛られ、葛藤する。」

 藤井道人監督は「僕自身も『映画ムラ』で育ってきた。表現について新たなものを取り入れても、それが異端に捉えられてしまうことに違和感があったし、何か疑問を持っていたとしても、それをまひさせなければ出る杭は打たれる空気は感じてきた」と打ち明けています。藤井監督はこの映画を製作するに当たって次のような思いを持って臨んだそうです。

 「コミュニティーに依存すること自体に問題提起したかった。個人個人がしっかり自立して社会を形作るべきだ」。

 この映画は公開中。

 さらにドキュメンタリー映画「裸のムラ」について五百旗頭幸男監督は製作動機がの一つがコロナ禍だったと言います。

「コロナに感染した人が嫌がらせを受けて引っ越しを迫られたり、スーパーからトイレットペーパーがなくなったり。社会全体が一つの大きな流れに一気に傾く怖さ。このムラの空気を可視化したいと思った」。

 こういう作品がつくられているということは、主体性喪失の時代のなかで若い映画監督に危機意識が醸成されてきているということです。「ヴィレッジ」を観ました。俳優も迫真の演技で、観る私が揺さぶられるほどの何かを放射した映画でした。

 いま野党、労働運動のリーダーに欠けているのは、この危機意識です。軍事大国化の流れのなかに身を委ね右顧左眄しながら流れに棹さしている政治家、労働運動指導部の群れ。

 この情況を下から覆すのは若々しい批判的思考に貫かれた運動です。