[1402](寄稿)医療あれこれ(その95)ー1

ペンギンドクターより
その1
皆様

今朝は朝から雨が降っています。いかがお暮しでしょうか。
 13日(金)千葉県在住の叔父を訪問してきました。
 ●東金市一人住まいの叔父訪ね 行くは老人杖は持たずに
 ●杖なくて76歳シャッキリと腰を伸ばして思い出の道
 ●求名駅かつては叔父の迎えあり今迷いつつひとり歩めり
 ●年を経て我もいつしか老いにけり白寿の叔父を訪ねる旅へ
 
 自宅を8時半に出て女房と東京駅の大丸へ、そこで昼食の弁当(叔父にはちょっと豪華な「なだ万」弁当をお土産代わりに)を購入し、女房と別れ、遠い地下ホームの京葉線の快速で蘇我駅乗り換え、東金線の求名へ向かいました。
 叔父にはもうひとつのお土産「線香」を渡し、一緒に弁当を食べようとしましたが、少しお腹の調子が悪いとかで、弁当は夕食にまわすとのこと、私だけお茶をもらって弁当をかき込みました。そしていろいろ昔の話をしました。まとめます。
 
 本人は「前立腺肥大症」と思われる尿閉で、膀胱にバルーンカテが入っていて、尿をためる袋を持ち歩いていますが、自分で玄関も開けて、帰るときは門のところまで見送ってくれました。私のためのお土産の「マスカット入りの和菓子」を取り寄せて待っていました。私に渡してくれた後に、もう一個くれようとする小さな記憶低下はありますが、来年1月24日に99歳になるとはっきり間違いないことを言っていますので、日常生活も十分ひとりで可能です。12時半が私の訪問予定時間でした。しかし東金線が一時間に一本で求名駅12時34分着だったので、自宅着が15分遅れたのですが、私の携帯電話に電話して何かあったかとチェックしていました。歩いていて私はスマホに気づかず彼を心配させたようです。週4回、介護・看護の人が訪ねてきて、掃除などをしてくれ昔より人の出入りが多いのだと言っていました。
 彼は、昔の電電公社勤務が長く、年金も十分のように思います。息子夫婦は一時間以上かかるところに住んでいて、二人とも働いていて、その一人娘(孫)が産休の時にちょくちょく来てくれ、叔母が亡くなった時の手続きなどは孫がやってくれたとのことでした。息子から聞いた息子の奥さんのかつての病気のことは知らないようでしたので、私も話題にしませんでした。
 
 92歳だった叔母は昨年12月26日、二人の介護の人に入浴させてもらっていた時に、急性心不全で急死となったようです。心マッサージなども二人がしてくれ、関係する医師の死亡診断を受けたようですが、当然警察の検視が入りました。埋葬許可を得るまでは大変だったと言っていましたが、介護の二人がいるときで、むしろ良かったなと私は思いました。
 とにかく、大正14(1925)年1月24日生まれの男性がひとりできちんとした日常生活を送れているのは珍しいと思います。お茶も入れてくれましたし、お土産も用意してくれていました。持っていった線香を仏壇に持っていき、そなえてくれました。私へのお土産は美味しい生菓子でしたが、賞味期限が15日までのものを4箱取り寄せていたので、その場で一部二人で食べたものの、一箱か二箱余るなと危惧しました。でも月曜日の介護の人にあげればいいかなと私は余計な心配はしないことにしました。

 叔母の生存中、コロナ以前には一年に一度は訪ねて行った東金市求名ですから、来年また行こうかと思っています。
 乗り換えの接続などを含めると3時間以上かかります。帰りは、求名から大網へ、千葉から総武快速線で東京に出て東京上野ラインで帰宅しました。NHKヒューマニエンス「背骨」で言及されていましたが、座位が最も脊椎の負担が大きいようで、背部痛と腰部痛が翌日まで続きました。ほどよく立ったり座ったりできる移動手段が望まれます。
 
 でも、帰ってきてすぐ、叔父から電話があり、「線香をありがとう。弁当よりそちらが嬉しかった。誰が考えてくれたのか」とのことで、「女房だ」と言うと、「よろしく言ってくれ」と嬉しそうでした。訪ねて行って良かったと思いました。女房曰く「あの線香は知る人ぞ知るいい線香なの」だそうです。
つづく