[1566]「科学季評」を読んで思うこと

 承前

時間の節約について

 資本家は労働者が生産諸手段に働きかけ一瞬にして物をつくることができることが理想なのです。究極の労働生産性です。しかしそうはいかない。モノやサービスを生産するには時間がかかります。資本家は労働者にできるだけ短時間でできるだけ多くの生産物をつくらせようとします。労働生産性の向上は生産に投入する労働の量を節約すると言ってもいいと思います。労働の量を節約するということは労働時間を節約するということです。

 資本家は既存の機械を労働手段としてモノをつくらせるためには労働者の労働密度を濃くしてモノをたくさんつくらせようとします。しかしそれには限界があります。チャプリンのモダン•タイムスに出てくる多能工化され、てんてこ舞いの労働者のようになれば労働生産性は限界につきあたります。

 そこで生産手段の技術的改善が必然となります。今の時代は労働手段のコンピューター化(AI化)で生産に要する時間を節約しています。経済学的にいえば剰余価値の生産を増大し搾取を強化するということです。

 資本主義社会においては商品を生産する時間の節約が何より大切なこととされます。時の流れに身を任せるわけにはいかないのです。私は会社に雇用され仕事をしながら、この社会で労働者に求められるのは雇用主のために生産物=商品をつくるための労働時間を節約することに尽きると思いました。

 資本主義のもとでは自然の時の流れは資本の増殖のための時間という意味を持ちます。

 山極さんの科学季評から連想したことを書きました。