[715]歴史決議、「人びとの魂にふれる大革命」も今は昔

f:id:new-corona-kiki:20211122163312j:plain
中国共産党歴史決議
文化大革命について

 歴史決議では毛沢東文化大革命に関しては次のようにいわれています。
 「毛沢東同志は我が国の階級情勢および党と国の政治状況についてまったく誤った判断を下し、文化大革命を引き起こして指導した。」これだけです。そしてそれは林彪江青の「2つの反革命集団」につけこまれた事件として完全に否定されています。
 文化大革命は、しかし当時の全世界の若者をはじめ民衆の心をゆさぶりました。1966年5月まだ18歳だった私は全く政治に無関心ではありませんでしたが「政治少年」ではありませんでした。その私を日記に向かわせ一文を書かせるほどに当時の中国の動きは影響力をもったのです。屈託なく書いていますが、背中に定規を入れて背筋を伸ばしたようにまじめに書いたことは確かなようです。文化大革命がはじまったばかりの中国にかんして、こんなことを書いていました。

1966年5月25日(水)くもり
 「週刊朝日に『中国は、真の革命とは全人類全社会が平等になることであるといっている』とあった。僕もまったくそのとおりだと思う。人間には生まれつきの能力というものがあり、これはどうしようもないものだと思う。人々はその能力にあった職業につき最高に力を発揮する。頭のいい人も悪い人も自分に与えられた仕事を一生懸命に処理する。本質的にはすべての人は同じなのである。だから収入、身分等に差別をつけるのはおかしいと思う。そうでないと人間というものは、生まれた時から差別されたものということになる。こんな不合理なことがあるものか。社会の矛盾をなくすため最も大切なことは、人間一人一人が自我に目覚めること、常に外に目を開きながら、同時に自分をも見つめること。世界中の人々がこうなればまず戦争なんか起こりえないし、『自由』という言葉が本当に生きてくるのではなかろうか。」  
 
 私が共感したらしい週刊朝日文化大革命をテーマにしたのかどうかわかりません。10数年前、故郷から送られてきた引っ越し荷物の中に私の20歳前後の日記帳を見つけ当時の自分を知りました。恥ずかしくもありましたが•••。
 ここでは、ウイキペディアの説明に依拠します。1966年の5月16日の「中国共産党中央委員会通知」と北京大学の壁新聞をもって文化大革命がはじまったといわれています。
 1966年8月5日、毛沢東が「司令部を砲撃せよ」と題した壁新聞を発表し党指導部の実権派と呼ばれた鄧小平や劉少奇国家主席にたいする攻撃を紅衛兵に公式に指示したといわれています。
 当時の具体的な出来事は忘れましたが、私はこの事態の一端をラジオか新聞で知って次に紹介する終戦記念日の日記に書いたと思われます。毎日予備校に通いながら陸上短距離の練習に勤しみ、たまに本を読み詩のようなものを書く、体育会系文芸派ノンポリの文章をいま読むと、こんにちの私の萌芽のような感性がモヤモヤしています。

8月15日(月)くもり
 「今日は終戦記念日。21年前の今日、日本はついに無条件降伏を余儀なくされたのだ。僕は時々思うのだが、戦時中のあの国民の一致団結した力••••••しかし結局それ等は上からの押しつけにすぎなかった。民衆の中から湧き起こった運動ではなかった。
 あの露骨な侵略政策を黙って眺めた日本国民が悪かった。その無自覚な行いが戦争をひき起こし、軍部の横暴さを非難する人の少なかったことが負ける原因だった。結局日本は負けるべくして負けたのである。過去の歴史をふり返ってみても侵略は一時的には成功しても、いつかはつぶされる。又、上からの押しつけは必ず失敗している。僕達は正しいことから目を離してはならない。戦争は絶対にいけない。すべての論理はメチャクチャになり、人間が人間でなくなる。現在原水爆保持者は米ソ仏中の四ケ国に増えた。何故彼等は、あんなものを作ろうとするのだろう。水爆等は、もう武器であっても武器ではないのだ。
 中共の現整風、全く思い切ったことをするものだ。彼等の考えには納得できる点も多い。でもあまりにも画一的になりすぎて若い国民層がやがて指導者になった時、冷静な判断を欠いてしまうようなことはないだろうか。••••••」

 文化大革命のなかで紅衛兵による「造反有理(上への造反には、道理がある)」のスローガンとデモ、揺れる中国は世界中の若者の心を揺さぶったのでした。当時の私も強い風を心にうけたにちがいありません。
 にもかかわらず中国共産党100年の総括のなかで、世界に影響を与えた文化大革命はたったの一行。さみしいかぎりです。
 資本主義化した中国の専制的党官僚にとって民衆の思想文化の変革の必然性はなくなっているのです。それもむべなるかなです。中国では、人と人との関係がモノとモノとの関係としてあらわれるという資本制的物化が完成しているのです。「人びとの魂にふれる大革命」という決定は「『四人組』を毅然として粉砕し、文化大革命の災難は終息した。」という一文で清算されています。
 大革命の規定的動機と本質が毛沢東の鄧小平、劉少奇ら実権派=「走資派」にたいする権力闘争の推進であったのだとしても、中国的封建思想が残る精神風土を克服するためにプロレタリア文化革命は必要だったのです。文化革命は中国にかぎらず、ソ連において1956年のスターリン批判の中で実現されるべきでした。ツァー専制支配の長い長い歴史的過去やギリシャ正教のメシア思想などで培われた精神風土は理論だけで急に変えることはできないのです。文化革命はスターリン崇拝を許した党員と民衆に染みついていたロシア的精神風土の克服を通じたマルクス主義の土着化のためには欠くことはできなかったのです。
1969年の中共中央委員会で文化大革命は「人びとの魂にふれる大革命」と政治的に美化されました。けれども本当に人びとの心をうごかす文化革命がソ連でも中国でも党と民衆に問われ、全世界の「前衛党」と労働者階級にも問われたのです。社会のしくみを変えるだけでは新しい人間的な社会づくりは成功しません。人びとが本当に古い社会を壊し新しい社会をつくろうと思い実践しなければ社会を変革することはできません。
 現実は厳しいです。1991年ソ連邦ソ連の労働者農民によって倒されたのではなく自己崩壊し、こんにちの中国は資本主義化してしまいました。
 習近平の歴史決議は文化大革命で問われるべきだったことを政治的に水に流してしまいました。「我が国の階級情勢および党と国の政治状況についてまったく誤った判断を下し、文化大革命を引き起こして指導した」と毛沢東の情勢認識と判断の誤りとして退けました。
 
 こんにちの習近平の反腐敗闘争なるものは、中国の資本主義化の過程で発生した汚職などの腐敗を単に行政的に取り締まるということより以上ではないのです。
習近平の歴史決議は毛沢東をお飾りにした中国の歴史の抜け殻の如きです。