[887]「イワンキウの静寂さは逆に印象的だった」


 15日の朝日新聞「日曜に想う」を読みました。ヨーロッパ総局長国末憲人さんのコラムです。4月に国末さんが訪れたウクライナ北部・人口1万人のイワンキウの住民の話が紹介されています。
 侵攻翌日にミサイル攻撃を受け1棟が全壊し、両隣が半壊した片方の半壊住宅で主婦タチアナ・オサチャさん(33)が次のように語ったといいます。
「占領中のロシア兵は怖かったけど、何もしなかった。子供たちにクッキーをくれた」。
 もう片方の半壊住宅のイワン・ダリニチェンコさん(65)も「戦闘はあったが、暴力はなかったね」と語ったといいます。
 その話を聞いた筆者が印象を語っています。
「キーウ近郊で、多数の市民が惨殺されたブチャや、砲撃によるアパート倒壊で住民が生き埋めになったボロジャンカを目にした後だっただけに、イワンキウの静寂さは逆に印象的だった。」

 私は筆者が普段メディアの伝えないことを語り、朝日新聞がそれを載せたことに驚きました。書かれていることは公式メディアが報じたがらない事実の一端です。毎日のように流される情報化されたロシア軍の残虐行為のニュースの氾濫に、私は政府やメディアが対ロシア戦争に協力する情緒的世論づくりを意図していることを感じています。コラムの筆者は事実であっても書くことの意味はわかっていることでしょう。私は朝日新聞に戦場の事実の一端が載せられたこと自体におかしな「驚き」を覚えました。

 また、「ロシア兵と住民とが穏やかに接した例もキーフ周辺の各地で耳にした」そうです。
 「アンドリーウカ村では、駐留したロシア兵と住民が一緒に食事をつくっていた。『戦争なんかしたくなかった』と嘆く若い兵士に『早く引き揚げて、別の人生を歩め』と諭した住民もいた」といいます。
 筆者はこういうロシア兵がいる一方で、ブチャのようなことをする兵もいるという現実の落差はどこから来るのかという方向に、論を進めています。

 このコラムは「虐殺に駆り立てる『空気』の正体は」という見出しがつけられています。福岡大学准教授の縄田健悟さん(38)の『暴力と紛争の”集団心理„』という著書を紹介しています。その本では「ブチャの虐殺」を起こしたロシア兵を心理学的に解釈しています。
 縄田さんは「推測だけど」と断って、ロシア軍は部隊によって空気が異なっていたのではないかといいます。平和な日常から突然戦場に送り込まれた兵士ばかりの部隊は暴力的な空気に乏しいが、シリア帰りの指揮官が虐待や処刑するのをみて暴力的な空気が形成されたのではないかと推測しています。
 この推測を受けてコラムの筆者、国末さんはクッキーを配ったり住民に愚痴をこぼした兵士は「暴力の空気にまだ包まれていなかったのだろうか」と疑問を述べながら、「別の部隊で別の空気を吸っていたら、行動が異なっていたかも知れない」と「空気」の影響の解釈論を言うにとどめています。
 筆者は含みのある結び方をもってコラムを終えています。結びの一段落を転載します。
 「イワンキウは、近辺でロシア軍が最後まで残った町でもある。ブチャなどから引き揚げてきたであろう大人数の部隊が4月1日、ベラルーシ方面に向けて町を通り過ぎた。その夜、市内の駐留部隊もこつぜんと姿を消したという。大規模な虐殺は、ここではまだ報告されていない。」
 
 私は残虐行為を心理学の観点から解釈することがまったく無意味だとは思いません。しかしそれだけだと現実の兵士や住民の意識と行為の一部をとりだして抽象化して解釈するだけになります。
 分析する主体である記者が場所の地理的特殊性(ブチャの場合キエフに近い前線)を踏まえ、両軍が激突したそのときの場の状況を、取材を通じて意識において再構成し、両軍の兵士や住民の意識と行動を可能なかぎり追体験する追求をしないと真実を突き止められないでしょう。
 プロパガンダのために残虐な殺害の結果を探すというようなことはなすべきではないと思います。