[932]民権ばあさんの意気を胸に

 
 朝日新聞のコラム「多事奏論」高橋純編集委員が元気がいいです。
 今回は高知の「民権ばあさん」こと楠瀬喜多さんを語っています。この方は日本ではじめて女性参政権を要求した傑物なのだそうです。明治時代、区会議員選挙に参加しようとして女性に選挙権はないと断られました。憤慨した彼女はあえて税金を滞納し、県からの督促を逆手にとって伺い書を出したそうです。1878年のことです。
「婦女に権利がないというなら、納税義務も男子並みにはつくしがたい。男女の権利に差異があるのかないのか、よくわかるように公正な判断をこうむりたい」
 コラムの筆者は「まったき正論。」と相づちを打っています。
 
 私はあの時代にお上にこう言うことをいう人がいたことに驚きました。
 
 コラムは米国の「女権運動のナポレオン」と言われるスーザン・アンソニーの行動を紹介しています。この人は楠瀬さんの行動に先立つ1872年に参政権がないのに大統領選に投票したかどで逮捕され、裁判で争うことを狙って罰金を支払うことを拒否したのだそうです。
 二人の女性の行動に筆者は心を弾ませて言います。「140年前の日本で、自分本位のふてぶてしい女性がひとり声をあげた」「ナポレオンは無理でも、やんちゃなばあさんになら、私もなれるんじゃない?」

なれます、高橋編集委員なら。

 筆者は高知市立自由民権記念館をみて思ったそうです。「偉人と変人は紙一重、彼らははめられた枠を一つずつ蹴破り、己の生を己のものとすべく闘っていたんだと。そのおかげでいま自由を享受している私たちが、むしろ自分で自分に枠をはめ、縮こまっているのはいったいどういうわけだろうと。」
 その次の展開は、どうせ変わらないからと言って参院選に行かない人びとに喝!をいれています。「『どうせ』は日本社会に生きる者にかけられた呪いだ。だから自分本位の一票を投じよ」。
 がしかし、終わりに「みんなで生きよう。生きすぎて困っちゃおう。歴史上の偉人変人が、私を、あなたを、励ましてくれている。」とまで言われると、参院選に行かない人への叱咤激励の域を越えて叫んでいるように思えます。

 ウクライナ戦時下、つくられた世論に流されないで日本のメディア人は主体性を発揮せよと言っているとも、読者である私は受けとめます。
 高橋さんに一言。「投票してもどうせ社会は変わらない」と思っているいる人の気持ちもわかる必要があるのではないか。例えば労働組合「連合」の指導者が政権党にすり寄る野党を応援しているようでは。
 今必要なことは与野党批判の心意気ではないか❗️今回の参院選はその気持ちを込めて行ってきます。