[279](投稿)六ヶ所村、補助金で生活は良くなった。福島もそうだったが······

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内核ごみ調査 
六ケ所村民「歓迎」 初搬入から25年
11/28 05:00 北海道新聞デジタル版から引用しました。

 下北半島の付け根に位置する青森県六ケ所村。日本原燃核燃料サイクル施設が集積するこの村に、高レベル放射性廃棄物(核のごみ)が初搬入されてから今年で25年を迎えた。搬出先となる最終処分場の選定に向け、後志管内の寿都町神恵内村で文献調査が始まったことを六ケ所村の住民はどう見ているのか。現地を歩いた。

寿都・神恵内の「決断」を歓迎

 三沢空港から車で北へ50分。古い民家が連なる村役場周辺を通り過ぎると、街の風景が一変した。尾駮(おぶち)レイクタウンと呼ばれる地区で、真新しい住宅や原燃の社宅が並び、医療センターや温水プールなど厚生施設も充実する。戸田衛村長(73)は「原燃のおかげで生活環境が整った。半世紀前は想像もできなかった」。

 村には「やませ」と呼ばれる偏東風が吹き、冬は豪雪に覆われる。厳しい気候の中で農業や漁業を生業としていたかつての村は貧しく、1950~60年代の平均所得は県内最下位だった。働き手の多くは東京などへの出稼ぎを余儀なくされた。

 そんな寒村に、石油化学コンビナートなどの大規模工業地帯をつくる「むつ小川原開発」構想が持ち上がった。69年に閣議決定した新全国総合開発計画に盛り込まれ、村は用地買収に伴う土地ブームに沸いた。しかし、村を二分する激しい政争を引き起こした国家プロジェクトは、2度の石油危機で頓挫。元助役の橋本勲さん(81)は「住民は土地を明け渡して補償金を手にしたが、仕事がない状態だった」と振り返る。

 そこに浮上したのが核燃施設の立地計画だ。全国から反対派が押し寄せてきたが、村議会副議長の木村常紀さん(72)は主宰した勉強会でこんな声を聞いた。「核燃サイクルは嫌だけど、できたら働きたい」。住民アンケートでも8割近くが「施設で働きたい」と答えた。土地を買収され、施設を受け入れざるを得なかった。木村さんは「それしかなかったんだ。核燃ありきの仕組まれたわなだと思う」と語気を強める。

 それでも施設の立地と引き換えに暮らしは豊かになった。2017年度の平均所得は、村民1人当たり1460万円で県内1位。木村さんも「結果的にあの選択は間違っていなかった。生活は良くなったのだから」と話す。

 4人に1人が原燃に勤め、家族や関連会社などを含めれば大半が「関係者」となった村には、寿都と神恵内の動きを「非常に勇気ある決断」と歓迎する声が多い。95年に原燃が県や村と結んだ協定では、核のごみの保管期間を30~50年間とし、今後25年以内に県外への搬出を始めると約束しているからだ。六ケ所村商工会の種市治雄会長(54)は「最終処分場の見通しが立たないと事業自体が疑問視される。決断には大きな意義がある」と強調する。

■人口減、産業衰退 共通の背景

 だが、核燃サイクルの要の一つで、使った以上の燃料を生み出すとされた高速増殖炉もんじゅ」(福井県敦賀市)は廃炉が決定。六ケ所村の使用済み核燃料再処理工場は今年7月、原子力規制委員会の適合審査に合格したが、回収したプルトニウムを国内の既存原発だけでは消費しきれないという問題も抱える。

 規制委で委員長を務めた田中俊一さんは「核燃サイクルは技術的な問題もあり不可能だ」と言い切る。大島堅一・龍谷大教授(環境経済学)も「仮に国が核燃サイクルの破綻を認めれば、核のごみの総量は減り、最終処分場の存在意義は不透明になる」と指摘する。

 記者は今秋、六ケ所村だけでなく、東京電力福島第1原発がある福島県大熊町双葉町なども訪ねた。

 寿都町神恵内村は、人口減や産業衰退を背景に文献調査に進んだが、福島も六ケ所村も、同様の理由で原発や関連施設を誘致した。その経緯を取材するにつれ、原発に依存してでも地域に潤いを―と苦悩する自治体の姿が頭に浮かんだ。

 福島出身の開沼博立命館大准教授(社会学)は、こうした現状を批判することに「戸惑いも覚える」という。自治体は生活者目線、反対派は脱原発を争点とするため、立ち位置を理解し合わない限り議論がかみ合わないからだ。賛成反対の二項対立ではなく「賛否に挟まれて生きる人たちの思いや葛藤を通じ、最終処分場の問題を考えるべきではないか」と投げ掛ける。

 <ことば>核燃料サイクル 原発の使用済み核燃料からプルトニウムとウランを取り出し、混合酸化物(MOX)燃料にして繰り返し利用する国のエネルギー政策。残った廃液をガラスで固めたものが高レベル放射性廃棄物(核のごみ)となる。

 使用済み核燃料の再処理工場と、MOX燃料を使う高速増殖炉がサイクルを回す両輪とされたが、高速増殖炉は原型炉「もんじゅ」がトラブル続きで廃炉となり、開発は頓挫した。MOX燃料を一般の原発で使うプルサーマル発電も、福島事故後に再稼働したのは4基にとどまっており、使用済みMOX燃料の処理方法も決まっていない。(土屋航)


※※※ 石川木鐸(ぼくたく)のコメント

 地を這(は)うように生きてきて、土地を手放した当初は「豊かな暮らし」ができても、人間は「動物」ですから、動かない生活=体を使わない生活内容は、「貧困」になると思いませんか。
簡単に手に入るお金は、「身体・からだ」にとって、放射能と同じく「厳しい毒」ではないかと思います。土地を手放して、海を手放して「補助金などで」暮らす生活はどのような生活になるのでしょうか? ここに出てくる木村さんは、「結果的にあの選択は間違っていなかった。生活は良くなったのだから」と話すとありますが、本当に「豊かな生活を送って」行けるのでしょうか?

 同じ11月28日の北海道新聞に「道内農業者 5年で17%減(全国は22%減)」と言うタイトルで、「高齢化、後継者不足深刻」とあり、かたや「耕地規模拡大や法人化進む」と農業従事者の減少を機械化などで補うために「耕地規模を拡大」したり、「法人化して」、会社のように農作物を工業化製品のように生産するとか、「農地の貸し出し」というこれまでいろいろなとことで行われている「方策」を取るところが多いようです。
 この記事で北海道農業の在り方の傾向は、分かりましたがこの5年間やってきたことの成果が書かれていないのが残念です。良い結果を生んでいるのか?それとも立ち行かなくなっている法人が多いのか?ほかの道を選んだ人がいるのか…分かりません。知りたいと思います。
 知人で、農業をやっている人がいて、これから「アスパラ」を植える人がいます。結果が十分出るには10年はかかるそうです。おコメの品種改良は多くの県で行われています。イチゴやマンゴーなどの果物を作っておられるところも多いようです。
 また、多様な種類の作物を作っておられる農家さんは、訪問販売をコツコツされています。同じく、漁師さんは取れた魚介類を食べやすいようにさばいて冷凍にして、あるいは混ぜご飯にしたりして販売する工夫もされています。これは新鮮でとても便利です。コロナの時代には「社会的距離」を保つにも良いと思います。
 今年は、新型コロナの影響で、売れ残ることが多く、食べ物全体の値下がりが見られています。「Go To イート」だけでなく(現在は時短になっていますが)、長期的な食糧自給の政策も、もっともっとテコ入れをしていかなくてはならないのではないかと思います。同時に、コロナ禍で仕事を失ったり、母子家庭で仕事も食べるものにも困っている方も増えているという現実がたくさん報道されています。それらの状況も巨細にみて、「桜を見る会の補填」や「菅の応援団の補填」だけでなく「ひとり親給付金」の支給を何度も何度も繰り返し調査をして、給付して、長くかかるであろうコロナによる生活自体の逼迫(ひっぱく)にも対応してほしいものです。

 読者の皆様はどのようにお考えでしょうか?