[1475]「人が人を殺す」意識

 23日毎日新聞の「土記」(伊藤智永)の見出しは「人が人を殺すのは」です。

 コラムの終わりの方で関東大震災朝鮮人虐殺に関わった人が、自らを殺害行為に駆り立てる意識をどのようにして持つようになったのか考えています。

 筆者は新たに見つかった朝鮮人虐殺に関する陸軍の公文書を紹介しています。

「東京や千葉の虐殺には軍や警察が関与していたが、新文書に記された埼玉の虐殺では、警察や在郷軍人会が一部民衆の暴発を止めようとしてできなかった様子が報告されている。

 私たちの曽祖父世代が、家族と暮らす町や村で、虐殺に走ったのはなぜなのか。当時、日本には大陸で朝鮮人討伐を経験した元兵士が少なからずいた。『武装した朝鮮人が襲ってくる』というデマを信じる心と体は、人々と社会に醸成されていた。」

 

 かつて朝鮮人討伐を経験した元日本軍兵士が大地震という生活と命の危機の中で、かつて自分が襲った朝鮮人の報復の幻影におびえ、流された噂話のなかに髣髴とさせられた•「朝鮮人の襲撃」に恐怖し「自衛」に立ちあがったということではないでしょうか。

 太平洋戦争下の日本人は政府が流す「鬼畜米英」という排外主義的キャッチフレーズに同調し日本軍の戦いを支えました。

 いまの日本にも同じような意識がつくられつつあります。ロシア、中国、北朝鮮の「攻撃」がメディアを通じて煽られ、日本の「普通」の人々の心の中に日常が壊されることへの防衛心が醸成されています。

 現代世界は米国ー中国・ロシアが対立しつつ資本主義の没落期に入っています。ウクライナ、ガザの二つの戦争はこれまでの帝国主義的な世界秩序崩壊のおわりのはじまりを告知しています。反戦平和運動が沈滞している日本で不安感が醸成され、外からの脅威を煽られると自然の流れのように「守らねば」という気持ちがつくられます。

 朝鮮人虐殺事件や太平洋戦争とそのときの日本人の心のありようは過去の出来事として歴史の一ページに綴じ込まれてはいけないと思います。